黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【58】



――ただ、こちらもかなりきついな。

 強い相手との本気の勝負は体力の消耗が激しい。緊張というのは集中力を上げて実力以上の力を出してくれる事もあるがその分体力をごっそり持って行く。先ほど踏ん張った足に力がなくなりかけているのは自分でも分かっていた。強化が入っていなかったら踏ん張り切れなかったかもしれない。

「痛くないのか?」

 平静を装ったまま構えにもぶれがない男に聞けば、彼はにやりと口元だけで笑ってから言った。

「そこは貴族様と違うからな、痛みも慣れてる」
「言ってろっ」

 言うと同時にオズフェネスは踏み込む、セイネリアも踏み込んでくる。
 剣と剣が勢いをつけてぶつかる、だが今度は弾かれない。それは向うが叩く力を加減した上剣先を倒したからで――鉄同士は合わせればすぐ滑る、彼は刀身ではなく柄頭をこちらに向けて押してくる。鎖骨近くに柄頭が当たって、オズフェネスは思わず痛みに顔を顰めた。
 それで一瞬、腕の力が抜けたところで、彼は柄から左手を離すと剣を寝かせてその左手で刃をもってこちらの首に押し込んできた。つまり剣を棒術のように使ってこちらを引き倒そうとしてきた訳だ。甲冑の騎士同士の戦いなら定番の戦い方だが、騎士の称号もないただの冒険者がその手でくると思わなかった、その分対応が遅れた。

――不味いな。

 首は一応装備で守られているが彼の力で全力で押されでもした日には圧迫されて息が出来なくなる。そう考えて顔が逃げてしまえば体が逸れる。そこで足を引っかけられれば――オズフェネスの視界から彼の姿が消え、青空しか見えなくなる。遅れて来たのは背と地面がぶつかる衝撃。そこへゆっくりと剣先が下りて来て、この地で勇者と呼ばれる男は苦笑した。

「……勝てないだろうとは思っていたが」

 小声て呟いてため息をつけば、剣はすぐに引かれて代わりに黒い男の手が伸びてくる。オズフェネスは大人しくその手を取り、引っ張り上げられて立ち上がった。

「まったく、化け物め」

 言えば、向うも笑って腹を軽く押さえてみせた。

「あんたもさすがだ。まともに食らったのは久しぶりだぞ」

 それには大口を開けて腹から笑う。状況を変えは出来なかったがこの男に蹴りを一発まともに当てられたと思えば気分がいい。負けるだろうとは思っていたが勿論勝つつもりだった。悔しくない訳ではないが、しっかり実力差が分かったし向うも本気だったのが分かれば清々しいものだ。

「……やはり腹芸よりこういう勝負のほうが気楽だ」
「だがそうは言ってられない」
「その通りだな」

 マントの埃を払って剣を鞘に収める。セイネリアも剣を収めて兜を脱いだ。眼光の鋭さは不気味なくらいだがやはり顔はまだ若い。将来が怖いなと思う男に、だめだろうと分かっていても聞きたくなる。

「冒険者など辞めてこのままこの地でボネリオ様に仕えないか。待遇は出来るだけ希望に沿うぞ」

 黒い男はそれを軽く鼻で笑い飛ばした。

「ないな、縛られるのは好きじゃない」
「そうか。……だろうなとは思ったさ」

 少しも迷いのないその返事は予想通りだったが、そう言い切れるこの男に少し羨ましいものを感じるのも確かだった。

「オズフェネス、あんたが契約するボーセリングの犬だがな、エリーダだ」

 そこで唐突にそう言われて正直オズフェネスは頭の理解が追い付かなかった。黙っていると黒い男は見せつけるように笑みを浮かべて、それからこちらの肩を叩いてくる。

「俺達がいなくなっても、彼女ならボネリオの護衛役として不足はないだろう。契約を守っている間はボーセリングの犬は裏切らない、安心して任せていいと思うぞ」

 暫くして彼の言葉を理解してから、オズフェネスは思わず笑ってしまった。気付かなかった自分のまぬけさにも呆れたのもあるが……なんというか肩の力が抜けたというかどこかほっとしたような感覚の方が大きく、ともかくオズフェネスは声を出して笑ってしまった。

「……まったく、そこまで考えてこちらにボーセリング卿との契約を提案してきた訳か」
「まぁな、実際の契約については彼女に聞いてくれ。ボーセリング卿には話を通してある」

 本当にどこからどこまで手回しのいい男だと思って……そこでふと、思い出した事をオズフェネスは聞いてみる。

「そういえば貴様、あの時の契約書だが……あれは偽造したものか?」



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