黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【56】




 オズフェネスの瞳が険悪になってこちらを更に睨む。セイネリアはわざと茶化すように肩を竦めてみせた。

「まぁ近いが、仕事をふらずにお飾りだけでいられるほどあいつも無能じゃない。そこはあんたが調節するしかないな」

 するとオズフェネスは唇だけに苦笑を浮かべて、軽く頭を押さえてため息を吐いた。

「他人事だと思って随分プレッシャーをかけてくれるじゃないか」

 セイネリアは笑みのまま少しだけ体を前に出した。

「だが少なくともボネリオを善良な領主にしたいなら、ある程度は無知なままでいてもらう必要がある、その為には……」
「確かに、俺が『そういう役』をするしかないだろう。覚悟はしてるさ」

 セイネリアはそれに唇の笑みを深くしてまた椅子に背を付けた。
 オズフェネスは根は真面目で清廉潔白な騎士様なんだろう。というか、そうありたかったのだろうがそれで済まない事を知って、ある程度の腹芸も出来るようになった男だ。

「ならまず、領主ボネリオの為に、あんたが真っ先にやるべき事はなんだ? 後顧の憂いを取り除く為に、一番の災いの種を消しておくことじゃないか?」

 さてこれでピンとくるなら、それなりに汚れ仕事も出来る男だとは思うが――セイネリアが考えながら彼を見ると、彼は一度考えて悩んだ後……気づいたのか顔を辛そうに歪めた。

「ホルネッド様を殺せ、というのか?」

 多少の汚れ仕事をする覚悟はあっても政敵の排除はそれなりにハードルが高い。本音は『正しく』生きたかっただろう男にはさすがに決断は難しいと思えた。

「そうだ、ボネリオには出来ない。だからあんたが指示するしかない」

 今度は返事を返さずオズフェネスは歯を噛みしめた。

「……で、あんたに覚悟があるというなら、一つ提案があるんだがな」

 セイネリアはオズフェネスの顔をじっと見つめて口元だけで笑う。多少なら陰謀劇に加担した事があるだろう勇者様は瞳に覚悟を浮かべて、言ってみろ、と呟いた。





 スルヴァン家の屋敷の中庭には人がいない。最初から彼と勝負をするつもりだったから、今日は少なくとも夕方まではここには一部の者以外誰も立ち入らない筈だった。誰もいない、普段なら自分の鍛錬用として使っている広いスペースに、オズフェネスとセイネリアは向かい合って立っていた。

――確かに、俺は少し覚悟が足りなかったようだ。

 若造に言われて自覚するとは情けない、とオズフェネスは心の中で呟いた。だが覚悟するなら早い方がいい、情に縛られ決断が遅れれば遅れる程被害は大きくなる。災いは種の状態で潰すのが一番被害が少ない。

――だがこれで後戻りはできない。後は腹をくくるしかない。

 装備を確認し、愛用の剣を握りしめて彼は大きくため息をついた。

 冒険者セイネリア――どういう生き方をしたらあの歳であんな人間になるのかは分からないが、彼の提案とはボーセリング卿、つまりあの暗殺者斡旋屋と契約をしないかという内容だった。ホルネッドはボーセリングの犬を雇っていたもののその契約を漏らしたとして契約違反でその契約は既に破棄されたらしい。だがその『犬』はまだここにいる、今ならそのままその『犬』を雇う事が出来る、と。どうやら彼はボーセリング卿ともなんらかのつながりがあるらしい。

 正直なところ、それでもオズフェネスは迷った。
 だが、手を汚す覚悟をした後で、そのための駒を自分が持っているのかと言われて決断した。そうだ、今更引き返せない、それに――。

『ボーセリングの犬とはいっても、別に暗殺者として雇えとは言ってはいない。暗殺者から守るには暗殺者を雇うのが一番いい。それに情報収集だ、彼らは怪しい人間を秘密裡に調べたりするのも得意だ。その為の駒があんたには必要だろ?』

 汚れ役とはいっても、状況を操作すれば極力汚い手は使わずに済ます事は出来る。こちらを陥れようとしている者の意図をいち早く知って対処しておけば血なまぐさい手に訴えなくても止められる。ザコならば隠している情報を持っているとほのめかすだけで抑えられる。
 何事も、正しく相手の行動を読んで先手を打てばいい――ただの平民出の冒険者である筈の男は事もなげにそう言った。実際、二人の領主候補を自滅させて蚊帳の外だった筈のボネリオを領主にするまで、非難されるような手を使わず成し遂げてしまった男の言葉であるから文句の言いようもなかった。




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