黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【53】



 エリーダが最初から怪しかった理由は単純に、実際の強さの割りに反応が良すぎたからだ。エルも気付いていたくらい、反応はいいのに実際の動きが妙に慣れてなくて消極的だった。後はセイネリアからすれば、強化術を使った後に思った程動きが変わらなかった事も上げられる。確かに多少は力が上がっているようには感じたが、強化術を使う前提で鍛えている筈のアッテラ信徒とは思いづらかった。それでエルの前では術を一切使わなかったのだから確定だ。

 エルを傍に置いてみたのは行動を見張るためではあるが、こちら側の人間がいつ彼女に話しかけても不自然ではない状況を作っておきたかったという方が大きい。後はセイネリアに対してなら正体がバレている可能性が高いと分かっていただろう彼女に、もしかしてバレていないかと思わせる為でもあった。ボネリオの件でもそうだが、エルも根が善良過ぎるから彼の態度が嘘でない事はエリーダも分かっただろう。面識はなくても同じ『犬』であったカリンが分からない筈はないとは向うも承知していただろうが、不確定要素があれば慎重になってくれるだろうというのがセイネリアの考えだ。だからカリンには出来るだけ彼女と接触するなと言ってはあった。

――なにせ三文役者の次男とは訳が違う。

 承認欲に目が眩んだホルネッドと違って、ボーセリングの犬は課された役目を演じる事を徹底的に教え込まれている。三文役者のように勝手に自滅してはくれない。
 最初から彼女と交渉する手もあったが、雇い主がまだ失脚する前では向うも契約を破棄する訳にはいかないし、こちらの目的を向うに教えてしまったら逆に阻止しようと動かれる可能性が高い。だから向うにはここまで迷っていて貰う必要があった。
 それに……ホルネッドは頭は悪くなかったが浅はかだった。ボーセリング卿ならいくら雇い主とは言っても彼に肩入れしすぎる危険も考えていた筈だ。あのタヌキ親父は結局、自分に不利益が出ず、益となるなら仕事の成否に拘らない。だから、セイネリアがエリーダをボーセリングの犬として分かっていて尚、敵対陣営についているというなら、ボーセリング卿側にも大損をさせないだけの対処を考えていると読んで黙っていたのもあるだろう。

――結局、タヌキ親父の手の中、とは言えるか。

 今のセイネリアではまだボーセリング卿を敵に回す程の力はない。彼の機嫌もとらなくてはならない自分の立場にはムカつきはするが、結局向うもこちらの思う通りの返事を返したのだから今はそれでいい事にしておく。

――まだ、急ぐ必要はないさ。勝てない内は生き残れればいいだけだ。

 エリーダが去った後、セイネリアはベッドに寝転んで目を瞑っていた。
 エルが帰ってくるまでの軽い仮眠のつもりだったが彼が帰ってきたのは深夜というより朝方で、仮眠のつもりが仮眠ではなくなってしまった。

「遅かったな」

 帰ってきたエルにそう声を掛ければ、彼は返事よりも先にベッドの上に大の字に倒れた。

「おぅよ、食事会が終わったのも遅かったし、そっから坊主の泣き言をいろいろ聞いてやったからな」
「ご苦労、といってやろうか?」
「るっせ、てめぇはさっさと寝てていいご身分じゃねーか」
「面倒なタヌキ親父と化かし合いをしたんだ、俺も疲れた」
「けっ、全然疲れてねぇって顔して言うんじゃねーよ」
「……お前を待ってる間にかなり眠れたからな」
「っとーにムカつく男だな」

 それにまた舌打ちすると、エルはごろりと横を向く。こちらに背を向けるようになってから暫く黙って、寝たと思ったところでまたぽつりとこちらに聞いてきた。

「……で、どうなったんだよ」

 セイネリアも目を瞑ったまま答えた。

「ボーセリング卿との交渉ならうまくまとまったぞ」
「……彼女は?」
「多分、このままここに残る事になるだろうな。今度はボネリオの護衛として」

 エルがそこでごろりと転がって今度はこちらを向いてくる。セイネリアは体勢を変える事なくそのままだった。

「どーゆー事だ?」
「まだ確定ではないがな、多分そうなる。今度はオズフェネスと交渉だ」

 言ってセイネリアは起き上がった。外はかなり明るくなってきている、少し早いが朝の鍛錬をしてきてもいいだろう。
 起き上がってブーツを履いていればエルはまたベッドの上で転がってこちらに背を向けた。だが、セイネリアが立ち上がって部屋を出ようとすれば、彼が背を向けたまま言ってくる。

「……ありがとな」
「何の事だ?」
「彼女が仕事を失敗したって事にならねーようにしてくれたんだろ」

――本当に人が良すぎるな、こいつは。

 セイネリアは僅かに口元を笑みに歪めると、彼に一言だけ言って部屋を出た。

「俺は俺の都合が良いようにしただけだ、礼を言われる筋合いはないな」

 扉を閉める音の直前に、エルの舌うちが聞こえた。



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