黒 の 主 〜冒険者の章・七〜 【39】 エルは正直、セイネリアを今までとは違う方向性で見直していた。 彼の強さや頭の良さ、度胸のあり過ぎるところ等は今更驚くものではないが、まさかやる気のない貴族のボンボンをここまで変える事が出来るなんて、どこの偉い師匠様だと目から鱗がバラバラ落ちたと思ったくらいだ。 子供というのは目指す方向が決まっていればどこまでも前向きになれるもので、本気で一生懸命に鍛える姿も、熱心に冒険者としての知識を身に着けようと聞いて来る様も……そして、呆けた父親に根気強く話しかけている様にも、なんだか見ているだけで涙が出てくる始末で見ていられなくてこうして部屋の外で待っていたりする。 「エル様?」 ちょっと思いに浸っている時に声を掛けられてエルは飛び上がりそうになった。声に気づいて顔を向ければエリーダがいて、にこにこと笑って近づいてくる彼女に思わず苦笑する。いくら考え事の最中といってもここまで気付かなかった自分には呆れるしかない。 「なんだエリーダ、今日はこの階の警備なのか?」 「はい、エル様は今日はボネリオ様のお供ですか?」 「あぁ、あいつは今、中で親父さんと話してる」 「話して……ですか?」 それに複雑な顔をした彼女にエルは僅かな違和感を感じたが、そこはあえて気づかないフリをする。 「ボネリオはな、たくさん話しかけていれば親父さんは今よりよくなると本気で信じてンだよ」 彼女は少し首を傾げた。 「可能性などなくても、ですか?」 「あぁ……例え最終的に何もしなかった場合と同じ結果にしかならねぇとしても、後悔しないためにだ」 エリーダはそこで更に少し考える。そんな彼女にエルは笑顔で言ってみた。 「なぁ、エリーダ『きっとだめに違いない』で片付けてしまったら、奇跡は起こらないもンだぜ」 けれどエリーダはにこりとまた笑って返してきた。 「ですがエル様、奇跡はまず起こらないから奇跡と呼ばれるのです」 「エリーダは……ほぼない可能性に掛けようと思った事はないのか?」 思わず聞いてしまってから僅かに後悔したそれもまた、彼女は迷う事なく答えた。 「ありません、何もしないで機会を逃すより、何かする事で致命的な失敗した方が後悔は大きいもので」 「いや違ぇだろ、あとでこうすればよかったって後悔のほうが俺は嫌だね」 「場合によりけりです。行動して失敗した場合の被害が大きければ何もしなければ良かったと思うものです」 「けどな……」 けれどエルはそれ以上何も言えなかった。彼女がにこりと笑って、エルにそれ以上を言わせなかったからだ。 「エル様、ならエル様は何かを得る為に全てを――自分の財や命だけではなく、親しい者の命も――懸ける事が出来ますか?」 彼女の笑みに曇りはない。自信と確信に満ちた笑みは、それにエルが肯定を返せないと分かっているからだろう。 エルは返事の代わりに大きくため息をつくと、首を左右に振った。それから話題を逸らすように彼女に尋ねる。 「……そういやエリーダ、今日は槍じゃねぇのか?」 彼女はすぐに笑みを返してきた。今度は、いつも通りの弟子としての無邪気な笑みだった。 「はい、廊下で槍を振り回すのは厳しいので」 「あぁ……成程な」 エルも笑って彼女にそう返しながら、心では違う言葉を吐いていた。 デルエン卿の次男、ホルネッド・セーリエ・ノウ・デルエン。基本は文官達と行動を共にしているのもあって、セイネリアはこの屋敷に来てから彼と直接会った事はなかった。ただ彼についての話はよく聞いていたし、その人となりもよく理解しているつもりだった。 「お前がセイネリアか」 声を掛けられたのは屋敷の中を迷ったふりをして歩いているところで、この辺りは確かに事務仕事をしている連中の部屋があるところではある。偉そうにお供を二人つけている辺りでおそらくそうだろうと思ったから頭を下げたが、向うはそのまま通り過ぎずに足を止めて声を掛けてきた。 「首都での噂はいろいろ耳に入っている。相当の曲者らしいがボネリオについて何を企んでいるんだ?」 「今回の仕事は彼の護衛です」 言えば、ふん、と野心家の次男は皮肉を込めた笑みを浮かべる。 「それだけにしては随分あいつに肩入れしているようだが。いきなり鍛えだしたかと思えば今更父上に取り入って点数稼ぎとは……何も裏はない、というのは少し信じ難い話ではないか?」 「デルエン卿にボネリオ様が話しかけているのは、お父上を好きだった事を思い出して、純粋に少しでもよくなればと思っての事ですよ」 そこでホルネッドは軽く口を手で押さえると声を出して笑い出した。 「父上を好きか……確かに父上はあいつにだけは甘かった。あいつだけはマトモに子供扱いをしていた。だからこそあいつは今でも子供のままという訳ではあるのだがな、まったく困ったものだ」 兄らしく呆れているような言い方をしてはいるが、底には馬鹿にしている感情が見え隠れする。ただ少なくとも彼が父の事を好いてはいなかった事は確かだろう。恐らくはハーランもだと思うが。どちらにしろ、父親に情を感じていたのなら父を廃人にしろと魔女に言いはしなかっただろう。 「お前が何を考えているのかは知らないが、付くのなら勝つ者に付くべきだ。噂通り頭がいいというのなら分かるだろ?」 言っている事はかなり危ういのだが口調は柔らかで、いかにも文官受けが良さそうではある。 「はい、そうですね」 セイネリアは彼の顔を見ず、頭を下げた姿勢のまま答えた。 その返事はホルネッドとしては満足するものだったらしく、彼は顔を上げて笑うとそのまま歩いて去って行った。それに続く彼の後ろには二人の供の姿があり、その内の一人はセイネリアも見覚えがある……魔女の元『お気に入り』だった。 当然だが、カリンには元『お気に入り』達の動向も探らせてある。どうやら同じ弱みを持つ彼ら同士は連絡をとりあっているらしい。となれば……それを通してハーランの元に多くいるだろう元『お気に入り』達もホルネッドと繋がっている可能性は高い。魔女とホルネッドが繋がっていた段階で、彼らを脅すネタの一つ二つ持っていても不思議はないだろう。あるいは『記憶があって魔女に仕えていた』というその事実を知って脅していても不思議はない。 ――惜しいな。 利用できるものはなんでも利用する、その手腕は悪くない。だがそれならもう少し背後や周囲を見なくては足元を掬われる。先へ先へと策を考えて行くだけではなく、別の角度からも見て全体を把握しなくては所詮は小者のままだ。 --------------------------------------------- |