黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【37】



 ボネリオはただ真剣に剣を振る。
 セイネリアはあの日以来、ボネリオに何かをやれ、という指示は出さなくなった。護衛としてついている時は傍にはいてくれるが、特に訓練について何かをしろと彼から言ってくる事はない。ただ聞けば教えてくれるし、今は彼の鍛錬を見ていても怒られる事はないからその時はじっくり見て勉強している。
 彼が何も指示してくれないのは最初は少し不安だったけれど、ならばと前のような楽な過ごし方をしようとはもう今のボネリオは思わなくなっていた。勉強も鍛錬もいくらでもやる事はある、毎日時間が足りないくらいで前のように無為に過ごそうなんて少しも思わない。

「やる気あんなぁ」

 横で長棒を振っていたエルが、笑って背伸びをすると座った。
 なら今のが終わったら、少し休憩してエルに冒険者の話をしてもらおう。今日はこの間話が途中で終わってしまった野宿の話を聞こう。エルはいろいろな冒険者と組んでいるから、いろいろな職業の知識や彼らへの対応について詳しい。それが終わったらカリンにナイフ投げを見て貰って、あとは昼まで父上のところだ。午後になったら守備隊の訓練に混ぜて貰って、今日は第三部隊だからコンダンにこの間習った石投げを見て貰おう……考えれば次から次へとやりたいことが思いついて、どうして今まで何もしないできてしまったのだろうと悔やまれる。

 剣を振るくらいなら必死にならなくてもこなせるようになってきたから、今度は少しセイネリアをマネていろいろなパターンで動けるように試してみたい……考えながら剣を振っていたボネリオは、そこで近づいてくる人の気配を感じて剣を止めないまま顔だけを向けた。

「ボネリオ様」

 オズフェネスの姿に少し驚きながらも、あと少しだから腕は止めない。

「あぁ、ちょっと待っててやってくれないか、もう少しで終わるからよ」

 どうしようと思ったらエルがそう言ってくれて、ボネリオはほっとする。そこでやっと予定の数字になって、ボネリオは手を止めるとオズフェネスに向き直った。

「腕の動きも、体の安定感も、見違える程です。お強くなられましたね」

 目が合った途端、あのオズフェネスにそう言われて、ボネリオは笑みを抑えられなかった。

「本当に? オズフェネスもそう思う?」
「はい、まるで別人のようです」
「うわー、オズフェネスに言ってもらえると嬉しいなぁ」

 ボネリオが笑えば、オズフェネスも笑う。いくら立場は部下ではあっても、この地で一番の騎士に言われれば舞い上がるなという方が無理だ。

「……そんなに、冒険者になるのが楽しみなのですか?」

 その笑顔のまま言われた言葉に、ボネリオは満面の笑みで力強く答える。

「うんっ、でもそれまでにはまだまだ覚えたい事が一杯あるからさ、待ち遠しいけど考えれば考える程あれもこれもって思って時間が足りないって気持ちもあるんだよね」

 そう、皮肉な事だが、前はひたすら待ち遠しかっただけだったのに今ではそれまでにやりたいことが多すぎて、時間が足りなくて早くその日が来てほしくない気持ちもある。
 そこでボネリオを優しい笑みで見ていた騎士は、優しい声で聞いてきた。

「ボネリオ様、最近はあの男が教えていないようですし、よろしければ私が貴方に剣をお教えいたしましょうか?」






 深夜とまではいかないが、真夜中の鐘がもうすぐなる時間、セイネリアはカリンの部屋、つまりボネリオの部屋の隣にある侍女の部屋にいた。普通ならセイネリアがこんな時間にここにいるのは不味いのだが、今はエルとセイネリアはボネリオの部屋に来ている事になっている。ただ実際はボネリオの部屋にいるのはエルだけで、セイネリアはボネリオの部屋へいくフリをしてその手前のカリンの部屋に入ったのだが。

 ボネリオはこのところエルに冒険者の話を熱心に聞いている――と言えば前と変わらないのだが、今彼がエルに聞くのは冒険者として知っておいたほうがいい常識的な知識や困った場合の対処法などで、前の時のような冒険譚も聞く事はあるが話を聞く角度が随分変わったのは時折入る質問で分かる。
 今日の夕飯時に話していたのはアッテラ神官の修行についてで、ただ話が長くなりすぎてしまっていつまでも食堂でする訳にいかなくなり、寝る前に改めて続きをと言われて来ている――という状況だった。

「噂話の方はやはりホルネッドがかなり操作しているようです」

 カリンには洗濯や水の準備等、侍女としての仕事をする時に他の使用人達と世間話をしていろいろ館周辺の噂話を集めるように指示してあった。そろそろ状況が変わってきたというのもあって、その辺りを確認していたという訳だ。



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