黒 の 主 〜冒険者の章・七〜 【35】 オズフェネス・ルス・スルヴァン、この領地では英雄扱いの男から、自分の家に招待したいという手紙がセイネリアに届けられたのは、ボネリオの集中訓練を止めてから三日後の事だった。 ――思ったより遅かったのは様子を見てたせいだろうな。 招待理由は勝負のやりなおし、となっていたがこれは恐らく建前上のものだ。手紙通りの理由なら、あの手合わせからこんなに時間を置く必要がない。案の定、行ってすぐ通されたのは客室で、しかも出て来たオズフェネスの恰好は室内着だから、ここからすぐ勝負というつもりがないのは分かる。 「勝負したいんじゃなかったのか?」 分かっていてそう聞いてやれば、僻地の英雄様は肩を竦めて笑ってみせた。 「ふん、わざとらしいな。そのために呼んだ訳じゃない事くらい分かってるんだろ? ……まぁ座れ、そのガタイで飲めないとは言わせんぞ」 「勿論飲めるが、飲んで勝負した日にはまたやり直しが必要になるぞ」 「だから今日はそのためではないと。……お前の意図も見えず気分がすっきりしない状態で勝負なぞしても気持ちよく終われないだろ、だからそちらが片付くまではお預けだ」 オズフェネスは名声に相応しい実力と人格を備えたいわゆる『立派』な騎士だ。ただ長く重要な地位にいただけあって腹芸も一応は出来るタイプで、清廉潔白という程の人物ではない。本人にとっては不本意だろうが。 「さて……」 互いのグラスに酒を注いで、オズフェネスは椅子に深く腰掛け、足を組む。 「最近のボネリオ様の変わりようは驚くばかりだ。貴様がやたらと鍛えていたのは知っていたが、今は貴様がついていなくても自分から鍛錬をして、警備兵の連中の訓練に出てはどうにかついていっている。何より目の輝きが違う、真剣だが訓練自体を楽しんでいきいきしている。……だが、これから聞く話のお前の返答次第ではそれを俺は素直に称賛出来なくなる」 つまりこちらの意図を教えろ、という事ではあるのだろうが彼としては悩むところではあるのだろう。真実を知って、ボネリオの変わりようを素直に喜べなくなる……それが彼にとっては辛いのだ。 「つまり、俺が何のためにここにいるかという話だろ。ただの護衛ではない、他の意図があるんじゃないかと」 「……その通りだ」 オズフェネスの瞳がこちらをじっと見据えてくる。セイネリアも自分のグラスを取ると軽く一口飲んだ。 「さすが、いい酒だ」 呟いてから口を拭って、殊更軽く聞こえるように言ってやる。 「あんたにとっては残念な事に、俺に対して抱いてる疑惑はぼぼあたっている。勿論ボネリオの護衛は最優先事項だが、俺の仕事にはボネリオを次の領主にするよう動く事も含まれてる」 オズフェネスがため息をつく。明らかに彼の顔に落胆が広がっていく。彼は持っていたグラスを一気に飲み干してテーブルに置くと、再びため息をついて額を抑えて俯いた。 「だが言っておくと、領主云々の話を俺がボネリオにしたことは一度もない。あのボンボンには冒険者の厳しさを多少教えて脅してやっただけだ。ボネリオは自分が領主になる可能性なんてこれっぽっちもあると思っていないし、あれだけ懸命に訓練してるのだって『冒険者になる』という目的のためだけだ」 「本当か?」 「本当だ。今のボネリオと話して見ればいい。ガキ過ぎて嘘を吐けないからすぐ分かるだろうよ」 オズフェネスはそこで暫く黙って考える。セイネリアは気にせず酒を楽しんでいたが、暫くして彼は重い口を開いてこちらを見て来た。 「……だが、ボネリオ様は純粋にそれしか考えていないとしても、行動はお前が仕向けているのではないか?」 「行動、というと?」 「とぼけるな。訓練はまだしも、ボネリオ様はここのところ毎日領主様の元に通って、傍で勉強をしながらずっと領主様に話しかけている、一部では次期領主を狙った点数稼ぎをしていると噂されているくらいだ」 確かにセイネリアが『目的のためにお前がやるべきだと思う事をしろ』と言った後から、ボネリオは自主的に訓練も勉強もするようになった。特に勉強は本を父の部屋に持ち込んで父に話しかけながらするのが日課となっている。呆けてしまった父に出来るだけ話しかける事で多少は良くなる事を期待しているのだろうが、正直その可能性は低いらしい。それでも父の元に通うボネリオに、好意的な噂が一部では広がっているのは確かだった。 「俺が言ったのは『後悔したくないなら先に行動しろ』と『目的のためにお前がやるべきだと思う事をしろ』だ。デルエン卿に話しかけろなんて一言も言ってない。背中を押す程度のきっかけは作ってやったが、今ボネリオがしている事は全て本人が考えてやるべきだと思ってやっていることだ」 言えば険しかったオズフェネスの表情が、安堵するように少しだけ緩んだ --------------------------------------------- |