黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【34】



 何も考えられないまま、ただ疲れ切る。
 ひたすら体を酷使して、息が整わないままにすぐ次の事で、最初は辛いとか痛いとかきついとか言っていたのもその労力が惜しくなって何も言わなくなった。体中どこも筋肉痛で痛くて、手など剣を振りすぎてその形で固まったまま力を入れないと開かなくなった。マメが出来て潰れて手が血だらけになってもセイネリアはやめていいなんて言ってくれない。疲れて座ったまま意識が飛んだ事もあったし、走り過ぎて気持ち悪くなって吐いた事もあった。
 あまりにもきつすぎると何も考えられなくて、とにかく言われた事をこなすしか頭にはなかった。訓練だけで一日が終わって、何も考えられず眠りにつく――それが三日続いた後、いつも通り朝早く連れ出された中庭で、セイネリアがやれといった事を聞いてボネリオは驚いた。

「え……それでいいの?」
「あぁ、今朝はそれでいい」

 剣の素振り50回を角度を変えながら6本。最初の時に、最低限やれと言われた事の一つだ。6本なんて最初は絶対無理だと思ったものだが、ここ3日は数えられないくらい振ったから逆に今は『それでいいんだ』と思ってしまう。
 そういえば最初は剣を振ってから止められなくて、疲れてくると地面に剣先が当たる事もあったなと考える。思い出してみればあれは振ってるうちにならないよなと自分で笑ってしまうくらいだ。そんな事を考えている間に振り続ければ言われた回数は思ったよりも早く終わって、ボネリオは一息ついて汗を拭いてセイネリアを見た。

 そこで、ボネリオは思わず何も出来ずに止まった。

 朝は特に、自分が鍛錬している間にセイネリアも剣を振っているのは分かっていたが、今までは見てる暇なんかなかったし、見てたら怒られてすぐ自分の鍛錬に戻っていたからちゃんと見れなかった。

――これが、本当に強い人なんだ。

 剣を振っている、と言えば同じだがその内容が全く違う。言葉で言えばただ剣を振っているだけだがその動きに同じ動作は殆どなく、暫く見てボネリオはこれは架空の敵を想定した動きなのだと理解した。
 足の踏み込み、剣の切り返し、わざと緩く動いてみせて急に速い動きに切り替わる。その間に彼の息はまったく乱れないし剣は少しも揺れない。大きく振り下した剣を止めて即切り返すなんて、前は特に気にしなかったが今ならそれがどれだけ力が必要な事なのか分かる分すごいと思う。剣の振り方ひとつとっても、今のは剣の重さを利用したのだとか、無理矢理腕力で軌道変更したのだとか一つ一つの動きに感動してしまう。……だからつい、見ている事に夢中になりすぎて息をするのさえ忘れていたボネリオは、急に息が苦しくなって咳き込んだ。

「……何やってるんだ、お前は」

 黒い男が剣を止めてこちらを見てくる。

「ごめん……いえ、すみません」

 思わず言葉遣いを正してしまったボネリオは、そこで背筋をぴしりと伸ばしてからセイネリアに頭を下げた。

「俺、もっと本気でやります、ですからちゃんと鍛えてください」

 顔を上げれば、そこであのぞっとするくらい冷たい琥珀の瞳が微かに笑った。

「ボネリオ、今はきついか?」
「え?」
「最初は剣を振って50回……一本終わる度に座り込んでたろ。しかもその時持っていた剣は今より軽かった」

 それでボネリオは考える。そうだ、あの時はこれをあと5回なんて絶対無理だと思ってて――今はそれでいいのかと思うくらいで。

「自分が強くなったのが分かったか?」
「はいっ」

 ボネリオは自然に湧いて来る笑みのまま、セイネリアに元気よく答えた。
 じわじわと心に湧いてくるもの。それはとても嬉しくて熱くて誇らしくて。初めての感覚に自然背筋が伸びて顔が上がり、ボネリオは美しく澄んだ青空を眺めた。

「馬鹿みたく訓練したこの三日、もし泣いて過ごしていたらどうなってた? 考えて立ち止まるくらいなら何かプラスになる行動をしてろ。あとな、後悔なんぞいくらしても何もならない。後悔して泣くくらいなら、後悔しないために思った時にすぐ行動するようにしろ」

 後悔と言われてここ三日、ボネリオは父親の事さえ頭から飛んでいた事に気づいた。そうして今、父親の事を考えても涙が出ない事にも気付いた――だって、父上はまだ死んでいない。
 そこでボネリオは更に深くセイネリアに頭を下げた。

「今日は午前の訓練はなしだ、好きにしていい。ただしちゃんと目的のためにお前がやるべきだと思う事をしろよ」
「はいっ」

 やるべき事――それはボネリオの中でもう決まっていた。



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