黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【32】



 そこから二日は、表面上は特に変わったと言える事はなかった。
 ただしデルエン卿が酷い状態であるという話は当たり前のように皆が知る話になって、あきらかに元気がない様子のボネリオには父親と会った時の様子も噂になっていたため同情の目が集まった。
 ボネリオは沈んだままで部屋に篭っていたから、二日はエルに任せてセイネリアが訓練の方に出た。だが三日目にはエルに交代を告げて、セイネリアは早朝、起きてすぐにボネリオの部屋に行った。

「起きろ、今日からお前も朝の鍛錬に付き合え」
「……え?」

 寝る前にまた泣いたと分かる顔を上げたボネリオの肩を掴んで無理矢理ベッドから引っ張り上げると、すかさず傍にいたカリンが最低限の着替えをさせる。後はそのまま肩に担ぎあげ、セイネリアはボネリオを中庭まで連れて行った。

「……いや……え? ここって……その、何でいきなり……」

 地面に下したボネリオはまだ寝ぼけ半分の上に混乱していて、すぐに立ち上がる事さえできなかった。だからセイネリアは顔を上げたボネリオの目を見据えて言ってやる。

「俺が最低限やれと言った訓練を二日もサボったそうだな」

 寝ぼけていたボネリオの瞳がそれで大きく開かれた。

「いいか、お前の体がなってなさすぎるからあれは相当加減してあった。それなのにサボったのなら仕方ない、一度本気で強くなろうとする者がやる訓練というのを教えてやる」
「……だ……でも、やらなかったのは……そんな、気分じゃ」

 ボネリオの顔は蒼白で震えている。セイネリアが脅すつもりで睨んでいるのだから当然だ。

「辛い事があって落ち込んでたら化け物は勝手に逃げてくれるのか? 泣いてたら何も食わずに生きていけるのか? ……ないな。時間はそれでも流れてお前以外の者はお前の都合などおかまいなしに動くし、お前の体も時間だけを浪費してただなまっていく。今は貴族という身分で何もせずとも食っていけるが、冒険者だったらそのままのたれ死ぬしかないぞ」

 声も出せず震えるボネリオにセイネリアは剣を渡す。いつもボネリオが練習に使っているなまくらの軽い剣ではなく、一般兵が使う本物の剣だ。

「今日からはその剣を使え。言っておくがちゃんと斬れるからな、扱いを間違ったり足に落としたら怪我をするぞ」

 ガクガクとぎこちなくうなずいてボネリオは剣を受け取る。だがやはり構えてみれば重いのか、剣先が下に下がる上に揺れていてまともに構えにさえなっていない。

「その程度も出来ないようでは話にならないな。なら、その体勢のまま暫くいろ」
「いや……無理……」
「剣を落したら死ぬと思ってそのままを維持しろ」

 勿論、ボネリオに『本気で強くなろうとする者の訓練』などこなせる訳がないしその言葉自体はただの脅しだ。ただ無理矢理覚悟させるために言っただけで、実際の内容は初心者向きもいいところだが――今まであった『余裕』は今日は与えるつもりはなかった。

 朝食前に立てない程疲れ切ったボネリオはまともに食べる事も出来ず、だが構わずセイネリアは食後にまたボネリオを中庭に連れていくと鍛錬の続きをさせた。
 どれだけ潰れても無理矢理立たせて、最低限の休憩は与えてやったが自由時間は与えない。途中からボネリオは意識が朦朧としていたが、それでも叱咤されると反射的に起き上がるようにはなった。昼食も最低限、夕飯にいたっては気絶して食べられないという状況にさすがにエルも心配していたが、彼には当分ボネリオの護衛はこちらがやる事を告げて反論も却下した。

「お前のやる事だから……考えがあるとは思ってンがよ」

 最後にエルはそう言って黙ったが、目はこちらを不審そうに睨んでいた。



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