黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【16】



 裕福な地方貴族の三男坊の生活など気楽なものだ。
 一応勉強やら剣の稽古をしたりはするが、兄達のように義務として厳しくいわれる事がなかったから適当にやったところで誰からも怒られはしない。幼い頃は勉強もマナー教育も今よりずっと厳しかったらしいが、貴族として最低限の部分を身に付けたら後は強要されなくなったらしい。
 だからボネリオの一日の過ごし方といえば、屋敷内の散歩と気が向けば読書、あとは犬と遊んだり一応は剣を振るくらいで、褒められる事といえば厩舎に行って自分の馬の世話を手伝うくらいだ。
 だからセイネリアは聞いてみた。

「こんな毎日でつまらなくはないか?」
「まぁそうだけど……冒険者になるまでは仕方ないしね」

 その答えがどこまでも貴族の馬鹿息子らしくてセイネリアとしては呆れるが、家で放置されてきた三男坊と考えればある意味仕方なくはある。

「そこまで冒険者になるのが楽しみなら、何故冒険者になるための準備をしないんだ?」

 それは彼にとっては意外な意見だったらしく、のほほんとした少年はまったく意味が分からないという顔をして首を傾げた。

「準備? 準備なら16になったら最低限の装備くらいは揃えて貰える約束だけど……」
「そうじゃない、お前自身の準備だ」
「俺自身?」
「そう、体を鍛えるとか冒険者として役立ちそうな知識を詰め込んでおくとか、冒険者になる前にやったほうがいい事はいくらでもあるだろ。エルから話を聞くにしても楽しい冒険譚を聞くだけじゃなく、どうやって仕事を貰うかとかどんなトラブルがあるかとか、冒険者になって役立ちそうな事を聞けばそれもお前自身の準備になる」
「俺自身の準備……」

 彼の身の上話から大体予想はついていたが、このガキは今まで勉強も剣の稽古も言われたからやっている、もしくはなんとなくやっている程度で目的意識を持ってやった事がなかったのだ。

「いいか、冒険者なら体力はいくらあったっていい。まる一日、食事とたまの休憩以外は歩きっぱなしなんて普通にある。剣だって一応習った程度ではいざという時身を守れない。咄嗟に動けるようにならないと簡単に死ぬ。勉強だってそうだ、仕事へいく辺りの地図が頭に入っていれば皆から頼って貰える、薬草の知識があれば薬や魔法がなくても助かるかもしれない。お前だって冒険者になるなら一生お使いしか出来ない下っ端でいい訳じゃないんだろ?」

 ボネリオの顔は酷く自信がなさげだったが、それでも一応は頷いた。

「うん……そりゃ、冒険者になるなら、さ。知らないところ行ったり、化け物倒したり、いろんなものを見たい、けど」
「なら今のお前は冒険者になるまであと一年の我慢ではなく、あと一年しかない状態だ。お前が使える出来るだけの時間を冒険者になるための準備に使え」

 この程度の事は本気で冒険者になろうとする者なら普通に考える事だが……それを初めて自覚したらしい少年は、ごくりと唾を飲んで真剣な顔で頷いた。

「言っておくが、冒険者なんてのは話で聞くようないいものじゃない。評価を上げなければロクに美味い仕事なんぞありつけないし、実力が認められるまではパーティーを組んでくれる者もいない。仲間なんてのは何度も組んで互いに組む利点を認めてからやっと出来るものであって、仕事で組んだだけの連中はまず足手まといを助けてなんてくれないし、邪魔だったらわざと危険な場所に置いて見捨てるくらい普通にある。誰だって出来るだけ上に行きたい、生き残りたい、そのために役に立つ人間と組みたいんだ。なら足手まといは利用して殺すのが一番楽だ。助けてもらいたいなら、いい人間と組みたいなら、それだけの価値のある人間になるしかない。今のお前が冒険者になったら、組んだ人間から金と装備を巻き上げられて化け物の前に置き去りにされて終わりだな」

 少年の顔がみるみるうちに蒼白になっていく。ぬるま湯の中で育ってきた人間は少し脅しておいた方がいい。

「いいか、家を出て一人で生きていくというのは簡単な事じゃない。世の中には冒険者の親が帰ってこなくて孤児になった子供がごろごろいる。それだけ簡単に死ぬ仕事だ、この平和な国なら兵士のほうが生存率が高いくらいにな」

 詩人や自分の武勇伝を話す者は、基本はいい部分しか話さないものだ。それをそのまま真に受けるのは無知だからこそだが……もっと小さいガキならそれでよくても、もうすぐ冒険者になろうとする人間がそれじゃただの自殺志願者だ。

「……もしかして……貴方みたいに強そうな人でも……実際、パーティで見捨てられたりとかってあったの?」
「あぁ、俺も実際に化け物の前に置き去りにされた事はあったし、装備を狙って事故死させようとたくらんできた連中と仕事で組んだ事もある。余程運がいいか慎重な奴でもなければ、大体似たような目に皆あう」

 少年の顔が蒼白ながらもある種の決意を浮かべて頷いていた。ここで『やっぱり冒険者になんてならない』と言わないのなら多少は見込みがあるとみていいだろう。

「そっか……うん、わかったよ。そうだね、本気で冒険者になるんだったら遊んでる暇なんてないよね」

 そこでセイネリアは少年に向かって笑ってやる。それで少年も少し肩の力を抜いた。この手の子供をノせるのは脅すだけでは続かない。少し怯えていた様子だったボネリオは、それでおそるおそるこちらに聞いてきた。

「でも……とりあえず何からしたらいいんだろう」

 だからセイネリアは言ってやる――とりあえずここに強い冒険者がいるんだ、もっと本気で剣を習ってみればいいんじゃないか、と。



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