黒 の 主 〜冒険者の章・七〜 【17】 オズフェネス・ルス・スルヴァン、このデルエン領では一部で英雄扱いの彼ではあるが、現在は相当に難しい立場にいた。 女にうつつを抜かして仕事を全部放り投げた領主を見捨てて隠居生活を決めた彼だが、それでもこの領内の危機だと言われたら無視は出来なかった。しかもかつての上司で恩のあるファダンからも頼まれればなおさらだ。 そうして緊急事態だからと頼み込まれて守備兵団に復帰したその初日に、彼は領主がとんでもない状況になっているのを知らされた。 「まったく……俺にどうしろというんだ」 彼が呼ばれた理由は長子であるハーランが武力行使に出るのを阻止する為だという事で、ハーランはあれで一部の兵には人気があるから議会の動きによってはそれは起こり得る事ではある。だからその件に関しては仕方ないとしても――この事態にこうして領都の仕事に復帰すれば、当然避けて通れない問題がつきつけられる訳だった。 つまり、次期領主として誰を推す派閥に入るかだ。 ――基本的には、ハーラン様だと思うのだが。 長子が継ぐという事なら決まってしまえば文句は言えない筈で、これ以上領内でごたごたを起こさないためにはそれが一番だとは思う。 ただ、ハーランが領主に相応しい人物かと言われれば返答は難しい。ホルネッドの方が既に仕事をしているのもあって領主として安心できるという者の意見も十分分かるのだ。 中立といっても許される状況ではなく、自分がつけば争っている二人の天秤が傾く事が予想出来るからこそ簡単に決める事は出来ない。 考えても結論など出る筈もなくまたファダンと相談するかと思って庭に出て来た彼は、そこで目的の老騎士の姿を見て足を止めた……のだが。 ――ボネリオ様? ファダンの姿の向うで三男のボネリオが剣を振っていた。いやそれだけなら驚く程ではないのだが、彼がいつになく真剣にやっていて、しかもその傍にはやたらと目立つ黒一色の男がいた。 ――まさかあの男がボネリオ様に剣を教えてるのか? 思いつくのはそれくらいだが、あのやる気がなくて飽きっぽいボネリオがあそこまで真剣なのには興味が湧いた。それにあの男とはちょっと約束をしていたから丁度良い。 「ファダン様、おはようございます」 まず彼らの姿を眺めているらしいファダンに声を掛ければ、かつての上司はふりむいて楽しそうに笑う。 「なんだオズ、お前も部下を放ってきたのか」 「嫌な言い方をしないでください。ちゃんと指示は出してきました。それより……ファダン様は見ているだけなんですか?」 驚く事にボネリオはこちらにも気づかないくらい一心不乱に剣を振っている。さすがにセイネリアという男は気付いているようだが、特に声を掛けてくる気はないようだった。 「まぁな、ボネリオ様がこれだけやる気になってるのは珍しいし、あの男がどんな指導をする気なのかも気になったからな」 「その……ご存じでしたら、どうしてボネリオ様があんなにやる気になったのか教えて頂けますか?」 それは小声で。さすがに堂々と聞くのは不味い。 「ボネリオ様は前々から冒険者になるとおっしゃっていただろ」 「あぁ……そうでしたね」 「なら冒険者として必要な技能を今の内に身に付けろ――と言われてあぁなってるそうだ。まぁ、あの男に相当脅されたようでもあるが」 成程、冒険者になるという目的のためにやる気になった訳か――と、オズフェネスは理解した。そもそも普通ならもっと早く気付くべきなんだが……という事は置いておいても、あの何に関してもやる気の感じられない彼がやる気になったの自体はいいことだ。 ただやはり、急にがんばりすぎたのはきつかったのか、ボネリオは50のカウントと共に崩れるように地面に座り込んだ。 「どうだ、きついだろ」 「うん、本気できっっっっっつい……」 「この程度なら冒険者を目指してる同年代のガキは大抵笑ってやれる。冒険者になるまでにはせめてその連中と同レベルにしておかないと初っ端から差をつけられるからな」 「う……がんばる、けどさ」 確かにあの男の言う事はもっともで、今までのんびり過ごしていた貴族の息子など冒険者になれば足手まとい以外の何物でもない。せめて一般人レベルの身体能力はなければお話にならないのは確かだ。 「ボネリオ様、精が出ますね」 相当に懸命にやって一杯一杯だったのか、そこで本当に初めてボネリオはこちらに気付いたらしく、見上げた瞳を大きく見開いた。 「オズフェネスっ……あ、いや、その……みっともないところを見せて恥ずかしい、な、とか」 そこでまたオズフェネスは感心した。あれを恥ずかしい、と言えるというのは、今の自分の至らなさを自覚しているということになる。 「お前が剣を教えているのか?」 顔を上げて聞けば、全身黒の不気味な男が、フンと鼻で笑いながらふてぶてしい態度で答えた。 「教えるところまでいってない。まずは体力と筋力づくりだ」 ファダンの言っていた通りに態度をすっかり変えた男に苦笑しつつ、とはいえ今は気分がいい事もあって怒る気にならない。むしろ笑ってしまうくらいだ。 「確かに……そうだろうなぁ」 一応ボネリオは剣に関しては平民の子供よりも早い時期から習っている筈だが、本気でやろうとしているのは今が初めてに近いだろう。いつまで続くか……なんて意地の悪い事を考えるよりも、やはり本気で頑張ろうとしている者を見るのは嬉しいから素直に応援したいと思う。 「今はきついだろうが3日続ければ違いが実感できる。更に3日続ければ自信がつく」 成程、このどうみても優しそうには見えない強面男は、どうやらボネリオに自信を付けさせてやりたいのだとオズフェネスは思った。若いのにただの力自慢ではないなとこの男にもオズフェネスは感心する。 「……そういえばセイネリア、お前とは約束をしていた筈だ」 彼という男に更に興味が湧いたのもあってそう切り出せば、不機嫌そうにボネリオを見ていた男は、再び視線を上げてこちらを見た。 「あぁ、俺ならいつでもいいんだが」 「そうか、なら今でも構わないか?」 それは領主問題で陰鬱とした気分になっていたオズフェネスにとっては、気分転換のつもりも兼ねた言葉だった。 --------------------------------------------- |