黒 の 主 〜冒険者の章・六〜





  【71】



 何故、あり得ない、どうしてこんな事になっている――魔法使いナリアーデは何度も自分の中にその疑問を投げかけたがその答えはどこにも見つからなかった。

 のんびりあの男一人で地下の大人数の回収作業をしていると思ったら、今度は手分けして小部屋のかたずけを始めたのを見て、彼らは完全にこちらが動かないのだと思っていると彼女は考えた。

――なら、動くなら今ね。

 今ならまだ、彼らが回収しきれていない人形達はあちこちにいる。予備に数人確保しておくだけでも十分な余裕が出来るが、どうせ魔力の予備として確保しておくなら――そこで彼女はいい案を思いついた。

 魔力の予備として、ただの人形ではなく、あの男の仲間を確保しておけばよいのではないか。

 そうすればこちらが逃げる為の交渉材料としても使える。魔法ギルド側は何があってもこちらを逃がす気はないだろうが、仲間が惜しくてあの男がどうにかしようと交渉に乗る可能性はある。
 それに最悪、それがだめでも吸って干からびた仲間の死体をあの男に見せつけられる。あの偉そうな男がその時にどんな顔をするのか考えただけでそれは最高の手に思えた。まさに一石二鳥と言える。
 丁度今、彼らは油断して個別で行動している。動くなら今しかない、と彼女は思っていた……のだが。

 狙った男は思った通り彼女の術にひっかかってくれて、彼女は計画の成功を疑わなかった。いくら向うの魔法使いがこちらの魔力を見つけたとしても、それに気付いてここへくるまでに余裕を持って逃げられる。
 なにせナリアーデが隠れ先として確保している場所は正確にはこの世界にはないのだから。ここから僅かにずれた異空間に専用の『場』を開けてそこにいたのだからどこからでも行けるし、逃げ込んでしまえばもう向うの魔法使いには見えない。

 失敗などするはずがない計画だった。油断していた訳でもなかった――いや、警戒していたからこそ失敗したのだ。

 術に落ちた男を連れて行こうとした途端、部屋の隅で大きな魔力が動いた。警戒していた彼女はそれに反射的に反応してしまった。そうしてほんの一瞬、意識がそちらに行ってしまった所為で、自分のすぐ傍の壁に空間の穴が開いたのに気づくのが遅れた。
 逃げる為の呪文一つ唱える間もなく、気づけば彼女は持つ手ごと杖を失っていた。
 そこであの男を見て初めて、その手にやってきた魔槍で彼女は事態を理解した。自分が気を取られた原因は予め部屋に置かれていたあの槍だったのだと。この男は最初から自分がここに来るだろう事を予想していたのだと。





「……まぁ、これでもう死ぬ事はねーだろよ」

 エルが術を開始すれば魔女は一応ちゃんとこちらに意識を同調させてきて、見る間に切り口の血は止まっていった。そこから周囲の肉が盛り上がり患部を覆って傷を塞げばアッテラ神官のエルが出来る治療は終いだ。ただこれで確かにこの女は助かるだろうが手を失う事は確定したことになる。

「最初からお前が狙われる事は分かってたからな、石の合図など使わなくてもフロスがずっとお前を追ってた」

 まだ蹲っている魔女を後味の悪い気分で見ながら立ち上がったエルは、セイネリアにそう言われて即座に黒い男を睨んだ。

「なんだそれ、なんで俺のトコに来るって分かったんだよ。ってか魔女は余裕があって当分出てこないってんじゃなかったのかよ。わざわざ個別行動にしたのは魔女を誘う為って訳かよっ」

 実を言えば気分が複雑すぎて文句をいう気力もあまり湧いていなかったのだが、それでも全部この男の思う通りという状況もムカついて一言文句を言……ったら他にもいろいろ溜めていたものがついでに出てしまった。

「そうだな……まず、この魔女は馬鹿だが、計画自体かなり用意周到で地味な手回しに力を入れてる。少なくともいきあたりばったりで動くタイプじゃない。そして自信家だ、ぎりぎりまで追い詰められるなんてプライドが許さないだろう。それなら追い詰められる前、まだ取れる選択肢が多く、あれこれ策を考える余裕がある内に動く」

 相変わらず頭にくるくらい頭の回る解答にエルは呆れる。後から言われれば納得は出来るが、これを敵に回した魔女に同情したくもなる。

「そこでまず考えるのは予備のエサの確保だ。だがただのエサを確保するだけでは時間稼ぎにしかならない。根本的な解決をするためにエサが交渉材料になれば一石二鳥、ついでに仲間の死体を見た俺の情けない顔も見れる……と魔女は考えた」




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