黒 の 主 〜冒険者の章・六〜





  【70】



 音は一度、しかもこちらは兵士を引きずっていた時だから聞き間違いか気の所為かと思おうとしたが、残念ながらこういう嫌な感じは当たるのも分かっている。
 次にシャラリと軽やかな音が背後で鳴ったのを聞いたエルは、振り向きながら腰の袋にある呼び出し石を取ろうとした、が。

「残念ね」

 呼び出し石を手に持った途端、その手に何かが触れてエルは驚く。それが誰かの手だと認識した時には手遅れで、持っていた筈の石はその手に取られてしまった。次の石を出そうとしても、今度は石の入った袋ごと腰から消えていた。

「空間魔法はね、こういう使い方も出来るの」

 なくなった石と袋を手に持って、魔女がにこりと笑っていた。
 少し無邪気に見えるように笑うその顔は妖艶で……エルはうっかりその顔に見惚れた。

――いやいやいや、あれはばーさん、百歳のばーさんだ。

 すぐにそれを思い出して顔を振り、魔女を睨んで背の長棒を抜いて構える。とはいえ正直自分一人でどう対応すればいいのかはわからない、どうにかセイネリアと連絡を取る方法は――だがそう考えていたエルは、次の瞬間魔女が目の前にいてパニックに陥った。どぅわ、と大声を上げて身を引いて――それはほんの一瞬の事だったが、その一瞬に魔女が付け込んでくる。

「「ねぇ、私の話を聞いて」」

 大きく見開いた瞳で魔女を見たエルは、魔女の笑みに軽いめまいを覚えた。思考が鈍って頭がぼうっとしてくる、体の力も抜けて思わず長棒を床について支えれば、魔女の手が伸びて来て頬に触れた。

「「私はね、今とても困っているの。貴方の助けが必要なの……」」

 触れられたところが熱くなって、その熱が頭だけでなく体にも回ってくる。見るなと思っても魔女の目から目が離せない、聞くなと自分に言い聞かせても魔女の声が頭の中へ響いて来る。
 エルは思い切り歯を食いしばった。力の入らない体に懸命に力を入れて、崩れそうな足をどうにか踏みとどまらせる。そうして深く息を吐いて、吸って――だが声を上げようとしたそこで、魔女の手が離れた。

「何っ?!」

 突然魔女がエルから体を引いて横を向く。
 そこからは本当に一瞬の出来事で、魔女が顔を向けた方と反対側――壁から黒い影が現れたかと思えば、次に魔女の悲鳴が響いてエルの意識がクリアになった。
 目の前を覆う黒い布が下りていく、魔女の姿が消える。
 ハッキリした頭で目の前を見れば魔槍を持って立っているセイネリアがいて、魔女は床でのたうちまわっていた。

「なんで……」

 間抜けに口を開いて呆けたように眺めてしまえば、全身黒一色の男は落とし物でも拾うかのように悠々と床に転がった魔女の杖を拾った。ただその際、ぼとりと何かが落ちたと思ってそれを目で追ったエルは、思わず声を上げて身を引く事になる。

「うぇえぁおっ」

 落ちたのは魔女の手だった。つまりセイネリアは、杖を取り上げるのに魔女の手ごと斬りおとしたのだろう。
 セイネリアは拾った杖を見ると、そのまますぐ横の壁に向かって放り投げた。見れば壁にはフロスが開けただろう穴があって、セイネリアはそこから出て来た訳かとエルは理解した。

「エル、死なないように血止めくらいはしてやれ」

 魔女は血だまりの中、声を上げて呻きながら震えている。エルは反射的にセイネリアの言うままにしゃがんだが、治癒を掛ける前に彼に聞いた。

「手、くっつけるか?」
「いい、その程度のバチは当たっていいだろ」

 全部元通りになるかは保障出来ないが、一応斬った直後なら治癒でくっつけられる可能性はある。だから一応聞いたが、セイネリアの言葉には同意出来るからそれ以上は聞かなかった。
 だが代わりに、愚痴の一つくらいは返したってそれこそバチは当たらないだろう。

「俺をおとりにしたのか?」
「そうだ」

 当然のようにあっさりそう返してきた男にエルはため息を吐く。いやそういう男だとはわかってたけどなと心で愚痴りつつ、どうにか気を静めて魔女に言う。

「ほら、血ィ止めてやっから意識を斬られた手に向けな、あんただって死にたくはねぇんだろ?」




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