黒 の 主 〜冒険者の章・六〜





  【51】



 匂いに誘われて思わずへらっと笑ってしまいそうになりながら、懸命に理性を手繰り寄せてエルは答えた。

「それが……あんたの暗示って奴か?」

 言いながら女を睨むと、女はさも意外そうに目を見開いた。

「暗示?」
「今俺を暗示に掛けようとしたんだろ?」

 大丈夫、まだ俺は正気だと自分に確認しながら女を見れば、女はそこでコロコロと楽しそうに笑った。

「嫌だわ、人形達は別として、男を僕にするのに術なんか必要ないじゃない」
「はぁ?」

 思わず間抜けな声で聞き返してしまったエルだったが、女はそこで当然といったように自信たっぷりの笑みで言ってくる。

「女と違って男を従わせるのなんて簡単よ。ただそういう男が増えすぎると邪魔だから、僕にしてあげる男は絞ってるだけ」
「あー……あぁうん、まぁ……そうだな……はは」

 ここで否定すると面倒そうだから一応同意はしておいたが――それでも一応、この女の裏も知らずにただ誘われただけならそれでも引っかかる馬鹿は一杯いるのだろうと納得も出来た。

「絞ってる、というより今はいないようですが。彼らはどうしたんでしょう?」

 それを言ったのはエルではなく魔法使いフロス。
 魔女はそこで初めてエルから離れて魔法使いを見た。

「あら安心して、貴方は下僕にしないで殺すから、何も考えなくていいわよ」
「でしょうね。貴女を見てしまった魔法使いを開放する訳にはいかないでしょう」
「あらぁ、随分分かってるじゃない? 諦めがいいのね」

 魔女の勝ち誇った自信たっぷりの笑みは変わらないが、フロスの笑みも崩れない。その所為か魔女の表情が僅かに曇った。

「杖もない状態で随分余裕じゃない? 何か企んでいるのかしら」

 フロスは浮かべた笑みそのままで言う。

「えぇ勿論、何も企まずにここに来るわけないじゃないですか」

 そうしてさらに一言。

「という訳で準備が出来ました。皆さん、お願いします」

 それが合図で、エルは後ろ手に縛られた『フリ』をしていた腕を広げて肩を回す。エーリジャも魔法使いも腕の縄を解けば、レンファンからそれぞに武器が投げられる。

「ギルドの者がここの敷地を囲んで空間結界を張りました。もう逃げられませんよ」

 魔女は飛びのいてエル達から距離を取った。
 エルやエーリジャ、レンファンは武器を構えて魔女を囲もうとする。

「愚かですね。まさか本当に我々だけでここへ来たと思っていたのですか?」

 フロスが前に出れば、魔女は更に大きく後ろへ飛びのく。それを追おうとしたエル達だったが、さっきまでこちらを拘束していた兵士達がそれを邪魔してくる。とはいえ所詮操り人形だ、きっちり攻撃が入れば一発で簡単に倒れていく。

「うぜぇ、黙って寝てろっ」

 だがそれは所詮時間稼ぎだったらしい。エル達が引っかかっているその隙に魔女は持っていた杖を上に掲げると何かを言いながら勢いよく振り下ろす――次の瞬間、魔女の姿はそこから消えていた。

「えぇっ? まてまてっ話が違うだろ、逃げられるなくなるって話じゃなかったのか?」

 消えた魔女を見てすぐ、エルはフロスに詰め寄った。魔法使いはそれでも焦った様子をみせずに落ち着いて答えた。

「大丈夫ですよ。飛べるのはこの建物の敷地内だけです、そこから外へは出られません」
「いやでもこの広さをどうやってさがすんだよ」
「そこは地道に、ですね」
「ざけんな、ギルドの連中が捕まえてくれんだろ?」
「いえ、結界を張りましたから誰も出入りできません。我々が捕まえるしかありませんね」
「……はぁ?」

 それはつまり、このだだっ広い敷地内で魔女を探さなくてはならないという事である。しかも――どん、と大きな音がして扉を見ると、先ほど扉の前に立っていた甲冑の騎士2人が槍を振りかざして部屋の中に入ってきた。

「エルっ、そっちの騎士を頼む。こちらは私が抑えるっ」

 レンファンに声を掛けられて、エルは仕方なく彼女が向かったのとは違う騎士の方へ向かう。セイネリアの魔槍程凶悪な形ではないし当然魔力なんてないが、それでも全身甲冑騎士様でハルバート型の槍相手は流石にきつい。鎧の所為か、それとも暗示で操られているからなのか、微妙に動きが鈍いのだけが不幸中の幸いで、それでも倒せる気にはなれない。鎧の所為でエルの武器では衝撃らしい衝撃さえ与えられない。どうにか凌ぐのが精一杯だ。

「穴を開けました、逃げますよ」

 その魔法使いの声が聞こえてほっとするものの、すぐに槍が飛んできて穴に駆け込もうとしてもその隙はなかった。



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