黒 の 主 〜冒険者の章・五〜





  【34】



 部屋の中に笑い声が響く。

「このところ結構稼いでたんですし、暫く休んでゆっくりすればいいじゃないですか」
「ずっと仕事以外を疎かにしてた分、ちょっとはプライベートに目を向けろって事ですよ」

 翌日の朝食後、皆で早速アジェリアンの様子を見にいけば、彼はベッドにはいたものの元気そうで、同室の連中も皆出払っていた事もあって暫くそこで歓談した。たたビッチェは合わせる顔がないと来る事を辞退し、カリンもそれに付き合うと言ったから、彼のもとに来たのは皆とは言っても全員ではなかったが。
 セイネリアはあまり会話に参加せず、聞かれた事に相槌を打って一言二言入れる程度がほとんどだったが、アジェリアンの様子に不自然な部分があることには気づいていた。だから昼の鐘が鳴って皆で部屋を後にするとき、一人だけ話があるといわれた時には何を言われるかの予想は大体出来ていた。

 皆が部屋を出て、セイネリアと二人になった途端、まず彼は大きく息を吐いて顔に張り付けていた笑みを消した。

「皆に心配をかけないためか、ご苦労な事だ」

 言えば、顔を手で覆って彼は口元だけを歪ませた。

「まぁな……今へたにいったらまずいだろうしな」
「ビッチェが気にする、か?」
「あぁ……どうしてる?」
「カリンが付き合ってみてる、まぁ少なくとも大騒ぎはしてないし、落ち込んではいるが割と冷静に考えられるようにはなってるようだぞ」
「そうか……すまないな」
「騒がれるとこっちも困る」
「そうだな。本当に……お前が動いてくれるのは合理的な理由があるからだな」
「そうだ、だから礼はいらん。俺は俺の為に動いてる」
「あぁ……そう、か」

 そう言って、顔を手で隠したまま口だけに笑みを乗せていた男は、そこで黙ると口元をへの字に曲げた。

「……右手がな、ちょっと筋を痛めたらしくて……反応がぎこちないというか……指が思うように動かない」

 平静を装うとして震えた彼の声が、静かにそれだけを告げて黙る。
 セイネリアはちらと彼を見て、微動だにしないで耐えているその姿を見てすぐ視線を離した。

「神官連中はなんて言ってた」
「リパの術はこういうのは苦手だからな、どうにも出来ないと。アッテラの二人も……出来るのはここまでだそうだ。最初はもっと動かなかったから、彼らは十分以上によくやってくれて……本当に、感謝してる」

 アッテラ神官二人であれだけ治療に掛かった段階でおかしいとは思っていた。そうしてここで彼を見て、どこか無理をして明るい顔をしているように見えたところで彼の怪我が完全に治るものではないのだろうとほぼ確信出来ていた。そして何故、自分だけにそれを告げたのかもセイネリアには分かっていた。
 彼のパーティーメンバーにとって、彼はリーダーでなければならない。彼が弱音を吐けるのは、彼の事を自分の上だと思っていない人間にだけだ。

「なら、今のまま両手剣はきついな」

 セイネリアは殊更冷静に、当たり前のようにさらりと彼に告げた。

「利き手を逆にして無理矢理同じ武器を使うより、いっそ片手武器にして右は盾を持ったほうがいいんじゃないか。多少指が動かなくてもどうにでもなるし、握力に問題があるなら腕につける奴を使えばいいだろ。俺の左腕のように多少の攻撃を受けられるくらい分厚い鉄板を入れる手もありだぞ、あれは殴る場合も有効だしな。後は死ぬ気で左を鍛えるしかない。鈍器か戦斧あたりなら力さえあれば割とどうにかなるだろ」

 次にアジェリアンを見れば、彼は顔の手を下ろしてこちらを驚いた顔で見ていた。

「なんだ、折角上級冒険者で騎士様にまでなったクセにやめる気だったのか?」

 聞き返せば、彼は苦笑をした後下を向いて肩を震わせた。

「いや……あぁ、そうだな……お前の言う通りだ」

 笑っているのか泣いているのか、彼の声は少し震えていたが先ほどより響きが明るいのは確かだった。だから今度は少し強い声で、彼を見て言う。

「辞めたい、というなら別に俺は止めはしない。だが辞めたくないというならやれることはまだある、まだやれる事があるのに勝手に絶望して投げ出すなら、それで失うモノは全てお前のせいで言い訳は許されない」




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