黒 の 主 〜冒険者の章・五〜





  【32】



「いえ、まだ私ではあの方の考えなど計り切れません。……ただ、少しだけ最近分かるようになってきたことがある、くらいです」

 その言葉は我ながら相当嬉しそうに言っていたようで、こちらを見るビッチェの顔があっけにとられたように止まって、けれど彼女はその直後にくすりと息を漏らすと楽しそうに笑った。

「なーによ、乙女してんじゃない」
「乙女、ですか?」
「そーよ、まぁいいわよ、あんたが好きであの男の部下やってるんなら私が文句言える立場じゃないもの。その……なんか、いろいろ言っちゃって悪かったわ」

 カリンとしては彼女に謝って貰うことなど何もないのだが、それでもここはへたにあれこれ聞かないほうがいいのだろうという事は分かった。

「ありがとうございます、でも、気にしていませんから」
「そーなんでしょうけど、けじめよけじめ」

 それから彼女は少し黙ると、今度は慎重に伺うように聞いてきた。

「その……少し聞いたんだけど、ボーセリングの犬って……暗殺者、なの?」
「はい、私はそうなる為に育てられました」

 カリンが笑顔で返せば、ビッチェは少しひきつったような微妙な顔をする。

「でも、あの方が私に主を選ぶ権利を下さったのです。だから私は今あの方のもとにいます」

 ビッチェはまた、こちらを暫く見て、それからため息をつくと視線を月に向ける。

「……それくらい認めて貰ったって事よね。いいな……信頼して信頼されて、妬けるというか、羨ましい、かな」
「まだ、認めてもらえるほどではないです。失敗もしますし、わからない事も多くて……まだまだです」
「でも、貴女一人を偵察に行かせる時の、あの男の貴女への信頼ぶりは半端なかったわよ、もう当然って感じで、俺の部下だからなって」
「本当ですか?」

 カリンでさえ手で口を押さえて満面の笑みがこぼれる。それを見たビッチェがくすくすと笑う。だがカリンは途中でハタと気付いて表情を引き締めた。

「……あ、すみません。貴女の愚痴を聞くんでしたね」
「あーそうね、でも謝らなくていいわよ別に、貴女の可愛いとこ見れたし」
「可愛い、ですか?」

 ビッチェの手が伸びてきてカリンの頭を抱え込む。反射的に反撃しそうになったが、かろうじてカリンはそのまま彼女の腕に抱え込まれた。

「そ、考えれば年下なのよね、なんかすごいしっかりしてるからそんな気しなかったけど。あんな女の敵みたいな遊び人には勿体ないわー」
「……はぁ」

 カリンの頭を抱えたビッチェは、少し乱暴に頭をなでてくる。それにはおとなしくされるがままになっておけばいい、というのは娼婦達から学んだものの、やっぱりなんとなく困りはする。
 けれど、唐突に始まったビッチェの撫でまわしは唐突に終わって、彼女は手を離すと背伸びをして空を見つめた。

「でも折角だし愚痴は聞いてもらおうかな」
「はい」

 カリンが言えばまた口元を少し緩めて、そうして彼女は膝を抱えると話しだした。

「ある小さな村に、こんな田舎には珍しい好青年がいました。……そりゃもう強いしなかなかのハンサムだったし正義感も強い皆のまとめ役、おまけに年下の面倒見がよかったから村の女の子は皆彼に恋してたみたいなモノだった訳よ。その青年が首都に出ていって冒険者になって、上級冒険者になったと聞いた時はもう村のヒーローよ」

 聞いているうちに、カリンは思わずくすくすと笑う。色恋沙汰に頭が向かないカリンであっても、そこまで言えばそのヒーローが誰の事かは分かった。




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