黒 の 主 〜冒険者の章・五〜





  【31】



 結局、アジェリアンは命に別状はないところまで治癒を続けたもののそれ以上は砦へ帰ってからの方がいいという事になって、とてもではないが歩けない彼はセイネリアが背負って行く事になった。
 だからエルがビッチェを背負って……とはならず、ネイサ―が彼女を背負ってくれたので、エルはアジェリアンの外した装備を持つ係になった。

 面倒だったのはあの魔槍で、砦兵の一人が気を利かせて持って行くといってくれたのだが当然持ち上げる筈のないそれを頼む訳にはいかず、興味深々で集まってきた連中に余計な説明をしなくてはならなくなった。結局は適当な藪の中に突っ込んできたが、後で呼んで見せて欲しいと言われたから、また今度は魔槍の説明を例の騎士たちにしなくてはならないのは確実だろう。

 砦に戻ればアジェリアンの為に彼の友人の騎士が自分のベッドを貸してくれて、そこで改めてエルが砦のリパ神官と共に治療に当たった。本当はフォロが続きをすると言っていたのだが、彼女は既に力を使い果たした状態でこれ以上術を使わせるのはやめた方がいいと判断された。なにせ彼女は帰るかと立ち上がった途端ふらついてしまい、騎兵の馬に乗せてもらったもののこちらが到着した時には疲れ切って眠ってしまっていたのだから。
 エルも途中からクトゥローフと交代し、その後もいろいろあって二人は夜遅くなってからやっと天幕に帰ってきた。だが、アジェリアンの怪我の具合については明日本人から聞いてくれとしか彼らは言わず、心配する声は上がったがとりあえず今夜のところはそのまま眠りにつく事になった。

 今回の敵はもう完全に撤退した、と上の連中は判断を下したものの、勿論それでもう安全などと言い切れる筈はない。今夜の警備は今日の戦いで比較的消耗の低かった砦兵達が受け持ったらしく、外をたまに通り過ぎる足音は規則正しく気を抜いた様子はなかった。

 そんな中、天幕の中で動く気配がして、起き上がった影が外へ出て行く。それが誰か分かったセイネリアは、同じく気づいているだろうカリンを小声で呼んだ。暗闇の中、開いた彼女の黒い瞳はセイネリアが出口を指さしたのを認めると音もなく立ち上がる。それからもう一度こちらを見て確認すると、彼女は先に出て行った影を追って出口へ向かった。

――俺が行くよりあいつの方がいいだろ。

 それにカリンにも、いろいろな人間に接するいい経験になるだろうし、と心で思いながら、セイネリアは天幕の布越しに見える遠いランプ台の明かりを眺めた。






 外は完全に夜中で、やけに明るい月だけが頂点から少し下がった辺りで空を照らしている。月が明るすぎて星が少ない空の下では、ランプ台の明かりの死角でもカリンには十分見えていた。
 女性としてなら少し大柄だが、男性よりは明らかに小さい影を見つけて、カリンはわざと気配を消しすぎないように注意して彼女に近づいていった。

「何よ、何か言いたい事があるの?」

 沈んだ顔のままのビッチェに言われて、カリンはあっさり答えた。

「いえ、主に行けといわれたので」

 ビッチェはそこで嫌そうに顔を顰めた。

「あいつから何か言えって言われてきたの?」
「いいえ、特には」
「なら何してこいって言われたのよ」
「いえ、何も指示は頂いていません」

 ビッチェの顔が益々顰められる。それから彼女は頭を押さえてため息をついた。

「どういうつもりよあの男」
「分かりません、お邪魔でしたか?」

 すると彼女はそこで暫く黙って、顰めていた顔から力を抜いて苦笑した。

「ううん……一人より良かった、かな。愚痴くらい聞いてくれるんでしょ?」

 彼女の空気が和らいだのが分かって、カリンも僅かに表情を緩めた。

「はい、貴女が言うなと言えば聞いた事は絶対に他言しません」
「あの男にも?」

 それは少し皮肉気なものが混じっていたが、カリンは笑みで返す。

「おそらく、主はそういえば『なら言わなくていい』という筈です」
「ふーん、ご主人様の事は分かってる、という訳なのかしら?」




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