黒 の 主 〜冒険者の章・五〜





  【30】



「大怪我? 馬を射られて落馬したが特に怪我をしたようには見えなかったぞ」
「なら多分、それだ」
「どういう事だ」

 エルの顔が気まずそうにこちらを見て、それからため息をついた。

「あー……あのな、アジェリアンはアッテラ信徒で、唯一使える術は痛覚を切る事なんだよ。つまり落馬した時には実は結構ヤバイ怪我をしてた可能性が高い。痛覚切って無理して戦ってたんだろうさ」

 ビッチェは手で口を押える。喉から悲鳴が出ると思ったがそれは出ず、代わりに涙が目から溢れた。

「それで術が切れて倒れたのか」
「そういうこった。ヤバイ時程、そう簡単に使うなよっては言ってあったんだがな」

 ガクガクと体が震える。取返しがつかない事をしてしまったとそれしか考えられない。ビッチェはアジェリアンがアッテラの信徒である事は知っていたが、術は何も使えないとしか聞いていなかった。けれど考えればどうだったろう、今まで彼は怪我をしていても無理をしてフォロに怒れた事が何度もあって、それはもしかしたら痛覚を切っていたかもしれない。

「あ、あ、あ……嫌、いやぁ、ごめん、なさい、ごめんなさい……」

 とうとうビッチェはその場で座り込んで泣き出した。
 けれどその時急に目の前に赤い石が下りてきて、それを見つめたビッチェは急激な眠気に襲われて意識が途切れた。





「ごめんね、でも今は少し、君は寝てた方がいいと思うんだ」

 手に持っていた眠り石を懐に入れながら、倒れたビッチェを支えて呟くエーリジャに、セイネリアは眉を寄せて言ってやる。

「その女が寝てた方がいいのは同意するが、ここで寝かすと運ぶのが面倒だぞ。あんたが背負ってくれるのか?」
「いやー、俺の歳じゃちょっときついかなぁ。ここは一つ、一番力がありあまってる君に頼みたいところだけどね」
「分かった、アジェリアンを運ばなくてよければ、だがな」
「あー……確かにそうだね」

 この状況でもどこか抜けた狩人の声に、セイネリアは軽く口をゆがませた。
 アジェリアンの様子から、彼がこんな無茶をしたのはビッチェを探すためだというのをセイネリアは知っている。本人もそれを知っているなら、この状況に耐えられなくなって取り乱す可能性がある、エーリジャの判断は間違っていないだろう。

「いいよ、そうなったら俺がちょっと強化入れて背負うからよ」
「おー、流石鍛えてる若者は違うね」
「代わりに俺のコレくらいは持ってくれよな」

 言ってエルは得物の長棒をくるりと回して肩に担ぐ。
 それから未だに治療中のアジェリアンに視線を向けると、歯を噛みしめてから呟いた。

「せめて意識が戻りゃ、俺も怪我してる個所を診てやれんだがな。アジェリアンなら多少体力持って行っても大丈夫だろうしよ」

 アッテラの治癒術は術を受けるものに同調して貰って初めて使える。意識のないものに使えないから今はリパ神官に任せるしかない。忌々し気に爪を噛んで様子を見つめるエルに、セイネリアは昔リパ信徒の娼婦から聞いた話を思わず呟いた。

「聞いた話だとリパ神官の治癒は想いが強ければ強い程効果が上がるそうだ。……なら、どうにかなるだろ」

 瞳を真っ赤にしながら必死で治癒を掛け続ける女神官は、こちらの話を聞く余裕も、状況を見る暇もない。おそらくはセイネリア達が来た事にさえ気づいていないだろう。それだけの集中をしているというのは見ただけで分かる。

「……そうだね、きっと大丈夫さ」

 エーリジャが言って、こちらに笑いかけてくる。
 その緊張感のない顔に呆れながら、セイネリアは周囲を見渡した。
 空はもうとっくに濃紺に染まり、星と月だけが光を放っている。森の前に置かれたランプ台は最大に明るさを上げられて、周囲は少なくとも行動に不便がない程には明るくなっていた。
 魔法使いの索敵ではもう森に敵はいないという事だが、砦兵達は森の前に立ったまま警戒を怠る事はない。その他の者はこちら側の死体を馬や荷車に乗せている最中で、軽傷の怪我人達は支えられる者が肩を貸したりしながら砦へと歩き始めていた。

 一通りそれらを眺めて視線を戻して――そこでやっとアジェリアンが意識を取り戻した。




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