黒 の 主 〜冒険者の章・五〜 【24】 逃げる敵、追いかけるクリュース兵。 人と人の殺し合いなんて関わるどころか見たくもなかったけれど、と考えながらエーリジャは飛び出したビッチェの後をわざとある程度の距離を取りつつ追いかけていた。 セイネリア――一見傍若無人に見えるあの男は、人使いは荒くても人間の使い方はかなり考えてやっている。エーリジャはこの仕事に誘われた後、人を射るのが嫌なら断っていいと言われたし、来るなら来るで前線の援護でも後衛部隊でも好きな方にいていいと言われた。まぁ対人間の戦いは嫌いだろうと、それを分かっていて聞いてくれたのだと思う。 正直にエーリジャは嫌ではないがあまり積極的にやりたくはないと答えて、ならどうしてもあんたの腕が欲しい時は頼むが基本は後衛部隊にいて後衛の護衛をしていればいいと言われての参加となったのだ。 ――後はまぁ、生き残れるように、だろうかな。 俺は死んでも構わんがあんたは生きて帰らないとならんのだろ、とそう言っていたのはこちらに子供がいるからだろう。本当に、傍若無人の無茶苦茶な男に見えるくせに、しかも実際態度も行動もそうなのに――その人間の希望と得手不得手を考えて最大限の働きをさせようとするのだから若いのに大したものだと感心する。 ――だからつい、必要以上の仕事をしたくなるじゃないか。 エーリジャの仕事は後衛の護衛で厳密には彼女は後衛職ではないが、まぁこの場合危ないのはどう考えても彼女だろうし、自分がいくしかない状況だ。 ビッチェは傭兵として既に何度かこの手の仕事も受けているそうだから、戦場の凄惨さに怯えたり、敵を殺す事に躊躇するような素振りは見えない。他の傭兵連中と同じく、逃げる敵兵を追いかけ、それに躊躇なく剣を落とすその動きは見ていて正直悲しくなる。 女戦士系の人にとっては侮辱に当たるから口には出さないが、エーリジャは女性が、特に彼女のような若い女性がこんな仕事をするのは正直見たくなかった。とはいえ彼女がそれで命を落とすのなんてもっと見たくないのは当然で、だからポイント稼ぎはほどほどで諦めて貰って、本隊から離れすぎないうちに無理矢理にでも止めるつもりで彼女を追ってきたのだ。 幸い、エーリジャの得物的にも、離れたところから彼女の身を援護するのは向いている、というかそれが専門だ。彼女が戦っている間、彼女を襲おうとする敵を撃っては辺りの様子を伺っていたのだが――どうにも途中から嫌な予感がして仕方がなかった。 若い頃、クリュースの国教を越えて蛮族達の生活範囲まで足を延ばしてみたことがあるエーリジャには、今回の敵の部族がどこのものであるか分かっていた。だからそこから考えると……敵がやけにあっさり撤退していっているのが気にはなっていた。 これだけ逃げるのだから彼らにも撤退命令が出たのだと思うが、それにしても早すぎる。あの部族は勇敢な戦士の部族だった筈だから――考えている間に、敵が大方森の方へ逃げていったのを見て、エーリジャは決断した。 敵は殆どもうこの辺りには残っておらず、いても攻撃もせずただ逃げるだけなのを見て、今なら大丈夫だろうと考えたエーリジャは弓を引いた。それは逃げる敵へではなく、丁度敵を倒してほっとしているビッチェの剣を狙って。案の定、少し気を抜いていた彼女の手から剣は弾かれて地面に転がる。そこで初めて、彼女はその場で身を屈めてこちらを振り返った。 「何?」 エーリジャは弓を構えたまま彼女の元へ近づいていく。剣を飛ばした犯人が敵ではないと分かった彼女は、そこで立ち上がると文句を言って来た。 「ちょっと、どういう事、何してくれるの?」 「うん、単にね、危ないからこの辺で止めて大人しく皆のところに帰ってくれないかなってとこさ」 「冗談でしょ、折角ポイントを稼ぐチャンスなのに」 若いなぁ、と思いつつ、さてどうすれば彼女を説得できるかと考えてみたエーリジャだが、口で説得はたぶん無理だとあっさり諦めて実力行使で押す事にした。 「だめだよ、これ以上深追いするのは危険だ。無理矢理にでも止めさせてもらうよ」 「無理矢理ですって? やれるならやってみなさいよ」 怒って彼女は剣を拾いに行くが、その剣をエーリジャは彼女に近づいて歩きながらもまた矢で弾いて彼女から遠ざけた。彼女はそれでもその剣を拾いにいくが、さらにまた剣を弾かれたところでこちらを睨んできた。 「止めてよ、何で邪魔するの?!」 基本怒りはしないし穏やかな表情を崩さないエーリジャだが、それには少なくとも笑みを浮かべず、出来るだけ厳しい声になるようにして言った。 「ポイントなんて、命に比べたら安いものだよ。まずは無事に帰る事、ポイントはその次だ。君が飛び出した所為で仲間はきっと心配している。君を探して君の大切が人が危険に巻き込まれたらどうするんだい? だから……もしこれ以上まだ敵を追うのを諦めないというのなら……次は君の足を狙うしかない」 言って弓を構えれば彼女は両手を握りしめてこちらを睨み……それから下を向いていった。 「分かったわよ」 それにほっと安堵の笑みを浮かべ、エーリジャは弓を下す。それから彼女に近づきその横を通りすぎると、立ち尽くしたまま動かない彼女の剣を拾った。 「帰ろう。生きていればいくらでも稼げるチャンスなんてあるさ」 それからまた彼女の元へいって、下を向いたままの彼女の肩を軽く叩く。更に彼女の顔を覗き込んで笑いかければ、彼女はこちらを睨んできた。 「子供扱いしないでよ、嫌なオジサン」 「……まぁ、オジサンは否定出来ないね。子供扱いも……まぁその、どうにも説教は息子に言ってるみたいになるのは仕方なくて……」 思い切り眉を寄せてエーリジャが唸れば、ビッチェはそれにクスリと笑みを漏らした。 「本当に、諦めなかったら足を撃つ気だったの?」 それにはエーリジャも苦笑を返して、それから瞳を遠くに向ける。 「撃ったよ、怪我はフォロに治して貰えるしね。それに……たとえ怪我をさせても止めなくてはならない時があるのを知っているからね」 言葉は途中から呟きのように小さくなる。だがその言葉にビッチェが何か言おうと口を開きかけた時――唐突に、敵が逃げて行った方向から、馬の鳴き声と人々の悲鳴が上がった。 --------------------------------------------- |