黒 の 主 〜冒険者の章・五〜





  【23】




 いななきが聞こえたのは丁度蛮族達が逃げて行った森方面、声からして馬が転がったか、撃たれたか――どちらにしろ、あれは馬の悲鳴である。
 何が起こったのかわらかず、周囲にいた兵達はその場で立ち尽くしていた。
 だがセイネリアはその声が聞こえた直後、森へ向かって走り出していた。
 当然、カリンもエルも追ってくる。

「カリン、お前は砦兵の連中に向こうの森へ向かうように言いにいけっ」

 カリンは返事をしてこない。まだ後ろを走ってくる気配がする。
 それでも暫くすれば返事と共に彼女が離れたのを感じて、セイネリアは走る速度を下げながら今度はエルに言った。

「エル、一段階の強化を頼む。先に行くからお前は無理せず砦兵の連中と来い」

 言ってから一度走るのを止めると、あわせてエルも足を止めた。
 彼が不機嫌そうにこちらを睨んでいたから、セイネリアは笑って言う。

「無茶はするが無謀なマネはしない。どうにかなるようじゃなかったら、お前達が来るまでつっこまないさ」
「……本当だな」
「あぁ」

 それでやっと、しぶしぶといった顔をしながらもエルは術を唱えだした。






 一方、指揮官がいる後衛部隊の方へと向かったアジェリアンの方でも問題が起きていた。

 今回の部隊の総指揮官は一応は首都からきたソボーという貴族騎士ではあったが、それはあくまで貴族である彼を立てるためだけの名目上の事で、実際の指揮はこの砦の責任者であるジェン・クレッセという平民出の騎士が行う事になっていた。
 だからこそ、アジェリアンが報告に行ってすぐ、あれこれ言い出す首都からの隊長達を無視してジェンの判断一つで撤退の号令が速やかに出されたのだ。
 けれども、それにほっとして後衛部隊の中にいる仲間のもとへ行ったアジェリアンは、その顔ぶれを見て血の気を失くした。

「何故ビッチェがいない?」

 彼女は後衛の護衛としてここにいる筈だった。
 けれど今、その姿はない。聞かれたフォロの不安そうな顔と、クトゥローフの気まずそうな顔だけで、最悪の事態をアジェリアンは予想した。

「止めたのですが……」

 フォロの声は震えている。

「護衛役は十分いるし、もう後は残った敵の掃除だけだからちょっとポイント稼ぎに行ってくる、と」

 アジェリアンはため息と共に顔を手で覆う。
 確かに戦況的にはそう見えても仕方ない。見れば傭兵参加者で神官等、術者以外の連中は後衛陣からほぼいなくなっていた。おそらく、ポイント稼ぎに出て行った他の連中を見てビッチェも行ってしまったのだろう。

「すまん。……だが、この状況じゃもう危険ってことはないだろ?」

 クトゥローフには悪気はない、彼は本気でそう思ったからビッチェを行かせたのだろう。ただ、年長の彼が抑えて欲しかったという思いに、アジェリアンは怒鳴らないように暫く歯を噛みしめて自分を落ち着かせる必要があった。

「奴らの……一部隊が最初からこの場にいなかったらしい。もしかしたら何処かで隠れて待ち伏せしているかもしれない」

 出来るだけ平静を装った声で告げれば、フォロの顔がみるみる青くなって口を押える。

「いや……大丈夫だ、きっと。ビッチェが出て行ってすぐ、あの狩人がフォローするって追って行ってくれた。本気でやばければ多分……止めてくれる筈だ」

 年長のアッテラ神官の言葉で、アジェリアンは初めてそこでエーリジャの姿もない事に気が付いた。そんな事にも気付けなかった自分の動揺ぶりをそこで自覚し、あのいつでも冷静な黒い男ならこんな事はないのだろうと自嘲する。
 大きく、自分を落ち着かせるために息を吐いて、そうしてアジェリアンはクトゥローフに尋ねた。

「……それで、ビッチェはどっちへ行ったんだ?」
「あっちの方だ、逃げる奴らを追って、な」

 その指さされた方向にアジェリアンが顔を向ければ、生い茂る木々の山のような――森が見えた。




---------------------------------------------



Back   Next


Menu   Top