黒 の 主 〜冒険者の章・四〜





  【29】



 ディンゼロ卿は尚も沈黙を返した。だがその表情は怒りというよりも苦悩という方が近く、彼は大きく息を吐くと長椅子の背もたれに背を預けた。
 後は相手が考えるだけであるから、セイネリアも口を閉じて相手の出方を待った。ちらと見れば、カリンもグローディ卿も青い顔でディンゼロ卿を見ている。当のディンゼロ卿はセイネリアの顔をちらと見て、そしてまた大きくため息をついてから口を開いた。

「本気で無礼な男だが……確かに、言っている事は間違いとはいえんな」

 ディンゼロ卿が口元に自嘲を浮かべる。
 後ろの二人から安堵の息が漏れたのが分かった。

「お前の言う通り私は選択を逃げてはいたのだろう。一度奴に狙われた時点で奴の下にくだるかどうか決めなくてはならないのはその通りだ、そして一度奴の下につけば何も出来ないところまで落とされる事も確かだろう」

 ディンゼロ卿はそこまで言うと、口元を皮肉げに歪めてセイネリアを見る。その目はこちらを見下してはいなかった。

「……お前が私の立場なら、この場合どうする?」

 セイネリアは表情を変えず淡々と答えた。

「当然、こちらで阻止した事にするさ。ただし、それを広く知らせてこちらの派閥のアピールに使う事はない。ワネル卿にも今回は何も起こらなかった事にするよう言っておく。それでもヴィド卿ならこちらの仕業という情報は仕入れるだろうがそれでいい。互いに相手の仕業だと分かっていても、公には何も起きていないのだから別に敵対関係は生まれない。ただこちらの事は与(くみ)しやすい相手ではないと思わせられるだろうから、今後向うはこちらへの対応は慎重になる筈だ。そこから先は……立ち回り次第になる」

 最後の言葉と共に思わせぶりな笑みを浮かべてディンゼロ卿を見れば、老貴族も顎に手を置きながら僅かに笑う。

「立ち回り、というと?」
「単純に言うなら、いいなりにはならず、だがなんでも反対側に回るのではなく時には意見を合わせて協力も持ちかける。そして常にこちらは馬鹿ではないと示し続ける事、だな」
「時には協力も、か。かなり難しいな」
「そうだな、だがただの敵ではなく協力もあり得ると向こうに思わせておけば、排除すべき相手としての優先順位はかなり低くなる。そしてこちらの力をある程度相手に認めさせておけば、実際協力者として話を持ち掛けた時もこちらの立場をある程度尊重してくれるだろう」

 言い切れば、ディンゼロ卿はまた大きく息をついて背もたれにもたれかかり目を閉じた。

「ふむ、実行は難しいが成程とは思うところはある。ただそうなると、奴と協力をする事が前提になる訳か?」
「そこはあくまで利害が合うなら協力、という程度のスタンスでいい。重要なのは感情等の理論的でない理由で敵対したり協力したりはしないことだ。ヴィド卿の頭がいいなら、利害と行動が理論的に繋がっている相手ならば、読みやすい分協力もありだと考えるだろう」

 ディンゼロ卿はそれを聞いて再び黙る。目を閉じたまま考える。
 暫くそうして沈黙を続けてから、ふっと笑みを浮かべると目を開いてセイネリアを見た。

「確かに、今私の前にある選択肢の中で、奴に屈せず生き残るならお前の案はベストに近いだろう。だが……以後の立ち回りは一番難しくもある」

 それを尋ねるような視線で言って来た相手に、セイネリアはわざとらしく頭を下げて丁寧な礼をしてみせた。

「勿論、言ったからには―――御用命にはいつでもはせ参じる所存ですが」

 ディンゼロ卿の口元が益々皮肉気な笑みに歪む。それから彼は一度鼻で笑うと、喉を鳴らして軽く笑ってからセイネリアに向き直った。

「ここで頭を下げるか。まったく、ムカつくが頭のいい男だ。だが……いいだろう、今回は許そう」

 それから今度は機嫌がよさそうに笑い声を上げると、ディンゼロ卿はセイネリアとグローディ卿、カリンやエーリジャにも椅子を用意させ、それだけでなくねぎらいの言葉を掛けると酒の手配までさせた。
 そこから別室に控えさせていたノウスラー卿とグクーネズ卿が呼び出され、今回の事件の裏で起こった事を話して彼らを叱咤する様子をセイネリア達は見ることになった。両貴族は最初は不満げであったものの真相を知ると青い顔をして頭を下げ、話が終わる頃にはすっかり小さくなってそのまま力なく部屋を出て行った。
 更にディンゼロ卿は機嫌よく今回の仕事に関する報酬と、後付けの依頼完了書を作って事務局に提出する事を約束してくれて、結果としてセイネリア達は大量の報酬とポイントを獲得出来る事になった。




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