黒 の 主 〜冒険者の章・三〜 【7】 「そこの兄さんなら、年寄りを一人で放り出すとはいわんだろ?」 モーネスが言えば、すかさずエルが楽しそうに耳打ちしてくる。 「お前が老人を尊重するご立派な意見を言った所為だ、ま、諦めンだな」 さすがにそれで神官を睨み付けるような事はしなかったが、正直面倒だとは思う。時間があれば街の高台にある高級住宅街――早い話が大商人や領主の館のある辺りを軽く見てくるつもりもあったのだが、それは諦めざる得ないだろう。 となれば大人しく食事と買い物だけで終わらすかと、急ぐ気もなくなってのんびり露店街の方へ向かったセイネリアだが……そこでふと、目についた光景に足を止める事になった。 「このガキっ待ちやがれっ」 叫ぶ声が聞こえたと思えば、人々が道を開ける中、何かを抱えた子供と、おそらく声の主の男が走っている。 それだけで何が起こったか分かったセイネリアは、傍にいたカリンに耳打ちした。 それから小石を拾うと、逃げる子供の上の方にあった洗濯物に向かって投げる。そうなれば洗濯物が子供の上に落ち、慌てた子供はその場で転んだ。人々の不安そうな声が上がる。隣にいたエルがすごい剣幕でこちらの服を引っ張ってくる。 「おい、ガキのかっぱらいくらい見逃してやりゃいいじゃねーか。お前がそんなちっちゃい正義感で動く奴とは思わなかったぞ」 「そう騒ぐな、それよりちょっと頼みがある」 「あぁ?」 セイネリアの落ち着きすぎた返事に、エルが抗議をやめて耳を傾けてくる。そうしてセイネリアが小声で言えば、彼は不審そうな顔をしながらも離れていく……リパの老神官をつれて。 セイネリアは視線を転んだ子供に向けた。 人々が道を開ける中、子供に男が近づいていく。子供の傍には果物が転がっている。売り物の果物を盗まれた男は、腕をまくりあげて身を縮こませている子供に向かっていく。 誰もが子供が殴られるだろう事を想像して顔を顰める中、男はうずくまる子供の目の前で拳を振り上げた。 「殴るのですか?」 そこでか細い女性の声が聞こえて、男の動きは止まる。ついでに声に向けた男の目もそこで止まった。彼の目に映ったのは、服装からすれば冒険者らしい若い娘の姿。大勢の野次馬の中でも目立つ、長い黒髪のとびきり美人の娘が、それはそれは悲しそうな顔で男を見つめていたのだ。 「え? あ、いや、殴りはしねーって、ちょっと悪い事したこいつにだめだぞって厳しく言い聞かせる為にだな、かっこだけだ、かっこだけ」 あたふたと振り上げた拳を下す男は、すっかり毒気が抜かれている。 若い娘――カリンは、そこで胸を押さえて安堵の笑みを浮かべてみせた。 「あぁ、良かった」 それにでれっと顔を緩めた男は、ゆっくりと起き上がった子供に気が付くと、ちらとカリンを見てからため息をつく。そうして、子供を面倒そうに見ながらも腕を組んで吐き捨てた。 「ったく、今回は見逃してやる。盗ったモンも持ってっていい、どうせもう売りモンにはならねーしな。ただし、もうこんな事は二度とするんじゃねーぞ」 言われた子供は急いで周りの果物を拾う。そうして、男を見ながらじりじりと距離を取って行ったと思うと急に後ろを向いて走り出し、そのまま逃げて行ってしまった。 「こらっ、てめぇ……」 男が再び怒って追いかけようとするが、その前に男の目がカリンの姿で止まる。 「貴方が優しい方で良かったです」 安堵を浮かべて微笑む女に、男はまたでれっと顔の筋肉を緩ませる。その様を見てから、安心してその場を離れていく野次馬達に紛れて、セイネリアもそこから移動した。 --------------------------------------------- |