黒 の 主 〜冒険者の章・三〜





  【10】



 怒声が飛ぶ、笑い声が飛ぶ、歌声が飛ぶ。昼を迎えた酒場は騒がしく、店員が広い店内を料理を持って鬼気迫る表情で走り回っている。
 さすがにこの時間では酒の入っていない客もそれなりにいるから夜程酔っ払いの声が目立つやかましさはないものの、客の入れ替わりが多いのもあって店員の忙しさは夜以上に見えた。

「どーゆー風の吹き回しなんだ、ガキにわざわざ説教なんてよ」

 流石に仕事前の昼間だからか薄い酒をちびちびとやっているエルが、眉を寄せてセイネリアに言ってくる。

「まったく、おかげで私も予定外の出費となってしまった」

 そう続けたのはリパ神官のモーネスで、彼はエルと一緒にあの少年の仲間――少年が逃げている内に盗みにいったろう子供達――の方に行ってもらったのだった。

「慈悲深きリパの神官様なら、可愛そうな子供達に何もしないなんてことは出来ないだろ?」
「まぁそうだな、まんまとお前さんにハメられた感じがあるが」

 なにせ、店主が帰って店が荒らされていたとなれば今回のやりとりは全て意味がなくなる、子供達の盗みは止めさせる必要があった。
 三十月神教の主神であるリパは、慈悲の神として大抵の街の神殿では定期的に孤児への施しをしている。だからリパ神官の爺さんの話なら聞くだろうという事と、後はこのジジイなら止めるだけで終われる訳もないだろうという思惑もあった。ちなみにエルも行かせたのは実力行使で止める場合も考えたからだ。思惑通り、この神官は盗みを止めさせる代わりに彼らに『施し』をしてくるハメになったらしい。

「ただまぁ恨み言は言わんでおくさ。……今回の件、お前さんにちょっと感心したからな」
「ジジイに気に入られるような事をした覚えはないな」

 セイネリアは神官の言葉を無視して杯を傾ける。多少飲んだくらいで行動に支障が出る事はないから普段通りの酒だ。ちなみに神官は酒を飲んではおらず、食後の茶を飲んでいる姿はやたら年寄りくさく見えた。

「いや……そうだな、ちょっと私もこの歳になって勉強した、というところかな。私の場合はあの子達を助けても、もう悪い事はするなと言って終わりだろう。子供達はその場でだけは『はい』といってまた盗む。つまり、その場しのぎで彼らを救えないという訳だ」
「俺も別に救ってはいない」
「だが、盗み以外の生き方を教えた。なかなか良い説教だったぞ、神官では絶対に出来ない類(たぐい)の話だが……神官の説教より役に立つ話だろうな」

 成程、『正しくあるべき』リパ神官なぞやっていてもこの歳まで冒険者として生き残ってきただけはある、とセイネリアは思う。少なくとも頭の固いガンコジジイではないらしい。

「だが結局、その後どうするかはあのガキ次第だ。それに俺の説教だってこの国が裕福だから通用するところもある。本気で貧しい国だったら同情などクソの役にも立たないだろうさ」
「まぁ……そうだな」

 それに同意をしてきたのは何故かエルで、セイネリアは少し考えた。この国のそれなりの都市生まれてあるセイネリアは生きられない程の貧困というのは経験がない。だが他国から来たエルの場合はそれを知っているのかもしれない。

「とにかく俺は別に好意や同情であのガキに説教してやった訳じゃない。いい機会だからこいつがどれくらい使えるようになったか試したというだけの話でもある。説教はおまけだな、あのガキが悪くない目をしていたから気が向いただけだ」

 そこでカリンを見れば、やはりフードを被って顔を隠したままだった彼女は僅かに頬を染めてこちらを見上げてくる。

「あの……私は……」
「いかにもチョロそうな男だったが、上手くあしらえていたと思うぞ」

 それでセイネリアが杯に口を付ければ、カリンは嬉しそうに小さな声で、ありがとうございます、と呟く。その直後、ジジイの笑い声が上がった。

「はは、子供を助けたのも部下を試す為とは……本気で面白い男だな」
「あんたもそれを笑える段階でかなり神官らしくない」
「まぁ確かに、リパに仕える身とはいえ、私は真面目に救いを説く大人しい神官ではないのは確かだ。ともかくいつだって新しいものを見て面白いと思っていたい性分だからな」
「だからその歳でも冒険者をしている訳か」
「そういう事だ、こんなに楽しい仕事はない。幸い治癒役なら多少の足手まといも許される」

 鍛える事が教義であるアッテラ神官と違って、術者扱いの神官達は多少体力が低くても許される場合は多い。なにせそもそも治癒専門の術者を入れるだけの余裕があるパーティーなら、治癒役が危険な目に合う事も少ないだろうし生存率も高い――同じ仕事をする仲間としてはジジイの道楽に付き合わされる気分しかないが、こういう爺さんがいるからこそ危険な魔物や場所の情報が後の者に伝わるとも言える。せいぜい戦闘中は隠れでもしてもらって邪魔をしないてくれればいい――その程度に思えばセイネリアにとっては別段どうとも思わない話であった。



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