黒 の 主 〜冒険者の章〜





  【19】



 谷を抜ければ少し離れた場所にまた森があったから、魔物達は次々とそこへ吸い込まれるように逃げ込んでいった。既に人間達など目に入っていない彼らは、こちらが街道に向かって走ればそれを追って来たりはしなかった。空はまだ明るく、周りに敵はいない。それでも魔物達が逃げ込んだ森から少し離れるまでは走って、それからやっとアジェリアンの一時休憩の声が飛んだ。

「もう……無理」

 聞いた途端、ばたばたと倒れるように地面に座り込む者達。
 いくら体力自慢の冒険者達であっても暫くは会話もなく、各自荒い息を吐く事だけしか出来なかった。それでもどうにか息が整ってきて、周囲を見渡せば実感してくる事を誰かが口に出した。

「助かった……のか?」

 敵はいない、少なくとも危急の問題はない。
 だが、そこでアジェリアンが声を張り上げた。

「まだ気を抜くなっ、本隊と合流するまではいつでも戦える準備をしておけっ」

 それに、当然だな、とセイネリアが呟けば隣にいた神官も、だな、と返してくる。
 だからちらと神官の顔を見れば、彼はにかりと満面の笑みをこちらに向けた。

「本当に、あんたがいて幸運だったぜ」

 セイネリアは鼻で笑う。

「皆からすれば、お前もいて幸運だったと思われる側の人間だ」
「おぉ?」

 セイネリアはそこで笑った、声を上げて。
 そうすればつられるようにあちこちで笑い声がおき、煤で少し黒くなった顔を見合わせてはまた更に笑う。生き残れたのだとそれを実感してくればなんでも笑えてしまう状態で、暫くの間彼らは笑って自らの無事を祝いあった。

「……まったく、気を抜くなといっただろう」

 台詞の割りには自分も笑っているアジェリアンがやってきて、セイネリアとエルの前に座り込む。
 流石にもう笑っていなかったセイネリアは、いかにも安堵したという顔をしている上級冒険者を見て言ってやった。

「大丈夫だ、どうせもう一戦あるだろうから嫌でも気を引き締め直すことになるだろうさ」

 そうすれば、笑っていたアジェリアンの表情が真顔になる。

「やはり、あるか?」
「あぁ、そう思った方がいいだろうな。……だが、思いついたことがある」
「……言ってみてくれ」

 即答で返した男ににやりと笑って、セイネリアは彼にある提案をした。





 その後も、谷にいた化け物が逃げ込んだ森から出てきて襲ってくることはなく、セイネリアのいた隊は無事その日の内に本隊と合流する事が出来た。
 ……とはいえ、無事とはいっても勿論すんなり平和に合流出来た訳ではない。本隊を追って入ったロキリアナの森ではイキナリ襲われる事になったし、本隊は予想していた通り敵に囲まれて苦戦中だった。ただそれでも合流自体が割合問題なく出来たのは、セイネリアの提案で森に入る前、全員で火をつけた松明を準備して持っていたからだった。火を恐れる魔物達は火を振り回せば襲ってくるのを躊躇するようになり、それで道を開けて最小限の戦闘だけで本隊のもとまで行けたのだ。
 あとは合流して一気に増えた戦力と火を使って魔物達を振り切り森から撤退した。そうしてそこから安全な集合地まで戻って、術者達が引いた結界の中でその夜はゆっくり休む事が出来た。

 さすがに戦力の大きかった部隊がどちらも危険な事になったのを受けて、戦力の分散は良くないと上層部は判断した。
 その後は分散させていた隊をまた一つにまとめ、本隊が一度撤退したロキリアナの森から順に討伐を行う事になった。セイネリア達が行ったカラリナの谷は魔物達も逃げ出して再討伐の必要はなくなっていたが、谷の木を焼いた事については責任者だったアジェリアンはいくらか嫌味を言われたらしい。
 ただ彼はそれをセイネリアの所為にはせず、それどころか仕事の完了時にはセイネリアに対する評価を高く報告した。おかげで一つの仕事としてはセイネリアはかなりの評価を上げられた訳だが、自分に関する噂話には、またこっそりと不穏な単語が追加される事になっていた。

 セイネリア――魔槍持ちで化け物のように強い、ただ人の血が流れているのか疑うくらい足手まといはあっさり見捨てる冷血漢。



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