黒 の 主 〜冒険者の章〜





  【35】



「それにそもそもあの騎士はたとえ寝たからといってべらべらとしゃべるタイプでもない。相手によって効果的な方法というのがある、やりたくない手段を使って何の成果もないなどただの間抜けだ」

 それにもカリンは下を向いたままで、じっと黙って聞いている。
 セイネリアは自分の苛立ちを抑えるために一度彼女から目を離した。

「つまりお前はまず人を見る目というのを養う必要があるという事だ。人を見て取る手段を考えろ。あの婆さんのとこはその勉強をするには最適な場所の筈だ。……俺に、人の見方というのを教えてくれたのも娼婦だった。だからお前もあそこで暫く預かってもらう事にしたんだ」

 カリンがゆっくりと顔を上げる。彼女の黒い瞳が涙に濡れていなかった事でセイネリアの中にある苛立ちも収まる。これで泣くような女なら、見込み違いだったと思うところだったとセイネリアは思う。

「主は、娼館生まれだと聞いたの、ですが……」

 そこで口を閉じてその先を言っていいのか戸惑う女に、セイネリアは仕方なく彼女の聞きたいだろう事を言ってやることにした。

「あぁそうだ。あの婆さんから聞いたか?」
「はい」

 セイネリアの反応が、怒っても不快そうでないのもあってか、彼女は今度はしっかりとした返事をした。

「俺の母親は娼婦だった。俺にいろいろと教えてくれたのはその娼館で一番頭のいい娼婦だった。とにかく人の見方と動かし方が上手くてな、あの娼婦には今でも感謝している」

 らしくなく、そんな話をすればあの娼館にいた子供時代を少し思い出す。何度もあの女がセイネリアに言っていた言葉を思い出す。

「『坊や、人間ってのはね、信じたいものを信じて、信じたくないものを信じないものさ。だからね、信じたいように見せてやれば簡単に信じるのよ』」

 思わず口をついた言葉に混乱して目を見開いているカリンを見て、セイネリアは苦笑する。

「俺の師だった娼婦がよく言っていた言葉だ、お前も覚えておくといい。人を操るのなら、まずその人間が何を望んで何を軽んじているのかを見極めろ。後は本人がそうであってほしいという選択肢を見せてやればそちらへ誘導出来る。ただあからさま過ぎれば頭のいい奴は疑う。それでも……成功体験を重ねれば警戒するのを止めるものだ」
「では……あのグローディ卿に貸しを作ったのは、その……成功体験、ですか?」
「まぁな。今回は少々得をさせ過ぎたが、重要なのはそれで貸しを作った事じゃない。あれだけのいい目にあえば俺につけば何かいいことがある、とグローディ卿の頭の中に焼き付けられただろうという事だ。信用や恩より、望みや欲求を操ってやった方が確実に相手を動かせる」

 カリンの瞳は真剣で、しっかりと開かれてこちらを見ている。そしてその表情から彼女が自分の言葉を理解して考えようとしているのも分かる。どうやら期待外れだったと落胆しなくて済みそうだと思ったセイネリアは、今度は表情を少し和らげて女に言ってやる。

「……まぁともかくだ。今はリスクがありそうな仕事をお前に頼む気はない。ロクな実戦経験がない奴に即そこまで求める気はないからな。今すぐ役に立とうとするな、自分のやれることを判断してそれだけやってこまめに俺に報告しろ」
「はいっ」

 その彼女の返事が力強くて、セイネリアが気に入った意志の強い瞳がこちらを見ていたから、セイネリアは彼女に微笑みかけた。

「安心しろ、お前はちゃんと有能だ。だが経験不足だ、だから今は焦らなくていい」

 言って頭に手を置けばカリンは一瞬大きく目を見開いて、それから今度は小さな声で、はい、と少し嬉しそうに返事をする。セイネリアの手が彼女の頭から肩に置きなおされ、そうして少し引き寄せてやれば、彼女は自分からセイネリアに近づいてきて体を寄りかからせてきた。




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