黒 の 主 〜冒険者の章〜





  【31】



「お前はあの槍を使っていた時のナスロウ卿を知っているのか?」
「はい、私はあの方がバージステ砦を指揮されていた時にその下にいたのです」
「なるほど、あのジジイが槍を使っていたのはやはりそのころか」
「そうですね、あの槍をもって指揮官なのに先頭で戦うあの方は……本当に勇者と呼ばれるにふさわしかった」

 だがそこまで言うと、騎士ザラッツの顔は一変する。人の良さそうな男の顔が、途端に昏い負の感情に覆われる。

「けれど、私が首都に戻った時……先に首都に呼び戻されていたあの方のもとでまた働けると喜んだものの……再びお会いしたあの方は疲れ果ててすべてを諦めていました」
「その時にはもう槍は使っていなかったのか?」
「はい、もう俺には使えぬ、と」

――成程、ジジイがあの槍を使えなくなったのは、首都の騎士団で孤立して全てを諦めたから……というのあたりが理由か。

「お前の話からすると、そもそもあのジジイがバージステ砦に飛ばされたのも厄介払いだったんじゃないか?」
「そうです、たびたび上層部に騎士団の在り方について意見していたあの方を追い払うために、国内の砦で一番戦闘が起こりやすいバージステ砦の指揮官に任命したのです。けれどあの方はそこで砦の者達の意識を改革し鍛え上げ、勇者と呼ばれるだけの戦果をあげました」
「成程な……」

 そこまで聞けばあとは簡単に想像で補完できる。――厄介者として地方砦に飛ばしたら、砦の者たちをまとめ上げ勇者としてもてはやされるようになってしまった。だから上層部は首都に呼び戻して今度は飼い殺しをすることにしたという訳だ。

 小部族出身の青年は尊敬する騎士に認められて養子となり貴族になった。そこまでなら詩人がよく歌っている華やかな冒険者たちのサクセスストーリーの一つだっただろう。だが養父の恩に報いるため立派な騎士たろうとした男の生涯としては、なんとも空しいものだとセイネリアは思う。
 努力して人から讃えられるだけの地位や名誉を築き上げても、それは必ずしも本人にとって良い事とは限らない。そしてどれだけ苦労や努力を重ねたところで、バカバカしい理由でそれらが一瞬で失われることもある。

――それでもあんたは、きっと何度も喜び、満たされた事があったんだろ。ならそれは無駄ではなかったろうよ。

 たとえ、何も残せなかったとしても。少なくともあの老人の死に顔は悔いてはいなかった。ならばそれは本人にとって納得できる生だったという事だ。自分の生に意味を感じられたという事だ。

「……だから、あの方の意志を継ぐ貴方の実力を知りたかったのです」

 らしくなく思考の中に沈み込んでいたセイネリアは、その言葉で意識を引き上げる。自分に向けてくるザラッツの崇拝の瞳に嫌悪感を覚え、忌々し気に睨んだ。

「あいにくだが、俺はあのジジイの意志を継いだ訳じゃない。鍛えて貰った事に感謝はしてるがそれだけだ」
「ですが、あの槍を託されたということは……」
「託された訳じゃない、俺があの槍に認められたというだけだ。それにはっきり、俺はジジイにあんたの跡は継がないと断ってる」
「そんな……」

 そこで絶句した騎士にセイネリアは背を向ける。
 崇拝の対象をこちらに移されて、勝手に理想を作り上げられるなんて冗談ではない。あの騎士にとってはナスロウ卿が人生の指標だったのかもしれないが、セイネリアにとっては関係のない話だ。
 誰かを尊ぶことに文句は言わないが、それを心のよりどころとして頼り切り、正しさを疑わない人間は見ているだけで反吐が出る。自分が正しいと思った事を信じすぎて、それに外れたものを排除することを躊躇わない。信者どころではない、これは狂信者の類だ。

「俺はあのジジイの後継者じゃない。だから俺にあのジジイの影を見ようとするな」

 言うとセイネリアは騎士から離れて、たき火の前へと戻った。



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