黒 の 主 〜冒険者の章〜





  【13】



 シェリザ卿は叫ぶ……だが、彼に出来たのはそこまでだった。
 がくがくと震える足は力が入らず立ちあがる事は出来ない。ならばとさらに何か言おうにも、唇さえ震えてもうまともに声が出ない。その間にボーセリング卿の背中はどんどん遠くなっていき、それに合わせて彼の視界は暗くなっていく。
 どうしてこうなったのだ――彼は思う。
 どこから間違えたのだ、どこからおかしくなったのだ、と彼は考える。
 こんな筈ではなかった、自分はこんな立場に陥る人間ではない、自分は選ばれた者だった筈だと、彼は声が出ない代わりに心で叫び――やがて、彼の視界は完全に暗く閉ざされた。

 ――そうして世界が闇に落ちたシェリザ卿が次に目覚めたのは、まるで何もなかったのだと優しく包んでくれるように心地よい、いつもの彼のベッドの上だった。
 あれは悪夢だったのだとそこでほっとした彼は、だがその直後、起き上がったベッドの脇にいた人物を見て表情を顰めた。

「何故お前がここにいる?」

 子供のような身長の彼の下僕。使っている者の中でもあまり見たくないその男を見て、シェリザ卿は気分が悪くなった。悪夢の後に見たい顔ではない、と呟いてしまえば、目の前の男はへらっと自分に対しては失礼過ぎる笑みを浮かべた。

「悪夢? どんな悪夢でしょう? 旦那様、それはきっと悪夢ではなく現実でございます。私がここにいるのはもうここには貴方の世話をするメイドも執事もいないからで、じきこの屋敷も持って行かれ、貴方は住む場所さえなくされるのです」

 シェリザ卿は考える、あれは夢の筈だ思い出せと自分に言い聞かせて……だが彼の頭に浮かんだのはあまりにもハッキリとした勝負の決まった瞬間と去って行くボーセリング卿の姿で、彼はまた目眩に襲われる事になった。

「なん……だと? 嘘だ嘘だ嘘だ……それは、夢の、筈、だ……」
「いいえぇ、現実でございます。貴方を守ってくれる者はもういません、貴方に頭を下げる者ももういないでしょう。貴方は全てを失ったのでございます」

 それは現実ではない、と思い込もうとして……結局彼はそれに失敗した。どんどん思い出す現実に、彼はベッドの上で頭を抱えて蹲った。

「今、どんな気分でございますか? 散々人を見下し、偉そうにふるまっていた貴方は今どんな気分なのでしょう?」
「うる、さい、うるさいうるさい、嘘だ嘘だ……」

 叫んでも現実が消える訳ではない。けれどもシェリザ卿はそう答える事しか出来なかった。認めたら彼の全てが崩れ落ちてしまう、だから否定する事しか出来なかった。

「いいえ、現実ですよ。そしていいことを教えて差し上げましょう、このところの勝負、どうして全く勝てなかったか知ってらっしゃいますか? それはですね、私が私の新しい主様に貴方が用意した代理人がどのような人物か全て教えていたからなのですよ」

 それを聞いて、目を閉じて耳を塞ぎ、すべての音を閉ざそうとしていたシェリザ卿は顔を上げた。ベッドの上で蹲っていても見下ろす事になる、最底辺の下僕である男の顔を見た。

「貴方はずっと私を見下していらっしゃいましたが、今度は私が貴方を見下す番です。全てを失った貴方と違って、これから私は私をちゃんと分って使って下さる主に仕えるのです」

 シェリザ卿の顔が驚愕から怒りへと変わっていく。自分の境遇への不満、失意、恨み、それらを全てその小男を睨む瞳に込めて、シェリザ卿はベッドから男へと飛びかかった。



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