黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【6】



 時間は少々遡る。

「騎士団東方守護部隊指令のサエザリ・ナスロウといえば、現役時代は一度も騎士団最強の名を譲らなかった男だ。更にいうなら、今でも騎士団にいればその名はそのままだったろう」

 その手のくだらない仕事は受けない契約だった筈だと、仕事の話を聞いた途端部屋を出ようとしたセイネリアは、その言葉に足を止めた。

「そんなに強いのか」
「あぁ、強い。『ボーセリングの犬』が今まで3人程返り討ちで帰ってくるくらいだ」

 名を出されたボーセリング卿が肩を竦めてみせる。ボーセリング家は宮廷貴族達の中でも特殊で、完全に中立を保ち、子飼いの暗殺者集団を囲ってほかの貴族に貸し付けるのを仕事としていた。幼い頃から仕込まれた彼の手の者は皆従順で優秀であり、『ボーセリングの犬』と呼ばれて貴族達の間で恐れられていた。
 今回の仕事は、実はそのボーセリング卿の依頼だという事らしい。

「そう、ウチの子が3人も失敗した。勿論どの子も優秀で、最後のエダは今のウチのナンバー2だった」
「つまり、自分のとこで手に負えないから俺を貸せと、そういう話か」

 ナンバー1を出すよりもこちらに声を掛けるというのは、なんとも腹黒いタヌキ親父だとセイネリアは思う。

「根も葉もない言い方だね、まぁ、情けないがそういう事になるかな」

 こんな胸くその悪い仕事をしているくせに、ボーセリング卿は態度だけなら落ち着いていてリパの神官のような穏やかな口調で話す。もっとも実質は、腹黒、という言葉そのままの人物だろう事は間違いない。

「今では首都じゃ君の名を知らない者は少ないだろう、セイネリア。なぁに、ウチの子達と違って、君なら君にふさわしいやり方が使える。君の名誉はそのままで、勿論法に触れることもない」
「俺にふさわしい、か」

 皮肉げに口を歪めたセイネリアだったが、説明を聞けば一応納得は出来る部分はあった。

 ナスロウ卿は、田舎に引きこもってからずっと、従者を募集しているらしい。

 クリュースにおいては、他国なら当たり前のように貴族ではなければならない『騎士』という称号は、試験にさえ合格すれば誰でも手に入れる事が可能であった。ただし、貴族でないものが試験を受けるにはまず試験を受けるための許可証と紹介状が必要になる訳で、それは騎士に暫く従事してその騎士から出して貰わなくてはならない事になっていた。だからこそ、誰でも、とはいっても、つてのない一般市民はいくら腕があってもそうそう騎士になれるものではないとも言えた。
 であるからこそ、かつて勇者とも呼ばれた高名な騎士が従者を募ったとなればさぞ多くの者が申し出ただろう事は想像に難くない。だが従者となるにはまず彼と剣を交え、彼が認める程の腕がなくてはならないという事で、結果、全員が脱落した。

「つまり、俺がそいつの従者になるといって勝負するついでに、事故のふりをして殺せと?」

 その問いには、深く椅子に座ったボーセリング卿は、ゆるやかな笑みを浮かべて答えた。

「あぁ、君があの男より強ければそれでいい。あの男は古くさい騎士様だからね、勝負に負けて死んだのなら相手に非はない、と誓約書を用意しているそうだ」

 セイネリアは口元に思わず歪んだ笑みを浮かべる。穏やかな笑顔の男は、穏やかな口調で思ったとおり腹黒い事をいう。つまるところ、こちらの二番の手練れが負けたのだ、お前が勝てる筈はない、といいたいのだろう。

「なら俺に、奴の従者になれと?」

 それでも怒る事もなくセイネリアがそう返せば、相手は少しだけ意外だったのか、瞳を軽く見開いた。

「そう、今、勝てなくてもいい。君なら、あの男は従者として認めるだろう。そうなればいくらでも殺すチャンスはある。……あぁいや、油断したところを殺すのが嫌なら、あの男より強くなってから勝負を申し出て正々堂々と殺せばいい」

 セイネリアは笑みの下で予想する、それでこの男は言うのだ、それとも自信がないか、と。

「自信がないかね?」

 セイネリアは吹き出してしまいそうになりながらも不快そうな表情を装い、男から視線を外して見せた。

「それは実際相手を見てみないとどうとも言えないな」
「ほう」

 ボーセリング卿は少し困惑しているようだった。おそらく噂から、セイネリアという男はもっと自信家で血の気が多く、この手の挑発に簡単に乗ってくれる筈だと踏んでいたのだろう。単純な現在の主であるシェリザ卿にならもう少し馬鹿のフリをしてもいいのだが、この腹黒親父には少し警戒させておかないとくだらない裏工作をされそうだ、という思惑がセイネリアにはあった。

「自ら手を下すのが契約外だというなら、こちらの手の者への手引きだけでもいい。それでもだめかね?」

 その言葉には更に不快げに眉を顰めてやる。そうすれば、ボーセリング卿ははっきりと苛立ちを顔に浮かべて、側で見ているだけだったシェリザ卿の顔を見た。

「セイネリア、私の立場的にこの仕事を受けたい理由は分かるだろ。ボーセリング卿もこれだけ譲歩しているんだ、引き受けてくれないか。勿論、お前の方にも別に報酬は出る事になってる」

 まぁいい、今回はのってやるさと、セイネリアは殊更大仰に、一応の主であるシェリザ卿に向けて礼をして見せた。

「了解した。主の命ではなく頼みだというなら、多少範囲外の仕事と言えども引き受けねばならないだろう」

 たまには飼い犬らしく見せておくのも悪くない。だがなにより、仕事の内容は置いておいても、それだけ強いという男の話を聞けば戦ってみたいとの思いがセイネリアの中に生まれていた。
 たとえ、この仕事が自分に対する罠で、ナスロウ卿に自分が返り討ちにあう事を狙っているものだとしても、それだけ強いと言われている男の話を聞いて会わずに済ます気はセイネリアにはなかった。



---------------------------------------------



Back   Next


Menu   Top