黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【38】



「――は?」

 ボーセリング卿が、本気で目を大きく開いて口も開いたまま止まる。
 先ほどまで大物らしい威厳を纏っていた男のその姿にセイネリアは声を出して笑いたい気分だったが、さすがに今この男を怒らすつもりはないから我慢をする。代わりに嫌味な程機嫌の良さそうな笑みをつくって、片方の肘掛けに肘をつくと軽く頬杖をついてみせた。

「今日持って来たのはそれだけだがその手の記録は全部あんたにくれてやる」

 そこで僅かに緩み掛けたボーセリング卿の顔が引き締まって、この手のやり取りは慣れている筈の男は黙って考え込んだ。恐らく今、彼の頭の中では自分の経験を総動員してこちらの意図が何か、何が本当の狙いか、彼が納得できる答えを探している最中だろう。
 ……だが、暫くして彼は大きく息をつくと、諦めたように表情を緩めて投げやりに片手を上げた。

「ふむ、確かに君は大物らしい。降参だ、君の本当の意図を教えてくれないかな」

 セイネリアは唇の笑みは崩さないまま、瞳だけは目の前の貴族を見据えて口を開いた。

「なぁに、言ったろ、よい協力関係というのは互いの信頼のもとにあるべきだと」
「それはつまり、協力者に対する礼の品、という訳かい?」

 そこでセイネリアは軽く鼻で笑ってみせると、表情を崩して椅子から背を上げた。

「まぁそれもある、だがこちらに利点があるから渡すというのもあるのさ」
「利点、というと何だね?」
「俺がこれを持っていても、あんたや貴族共にとってナスロウ卿というターゲットが俺に変わるだけの話だろ。だがあんたに渡せば、情報を闇に葬るにはあんたも始末しないとならなくなる。少なくともそこに書かれた貴族共は今度はあんたに暗殺依頼をしようとは思わんだろうし……まぁ、俺はともかく、あんたを始末しようなんて思える程の連中は少ないだろうしな」
「……あぁつまり、これを渡す事で私も強制的に君と同じ側に立たせてしまおうという訳かね、酷い話だ」

 酷い話、と言いながらもボーセリング卿の顔は笑っていて、やはりこの男は頭がいいとセイネリアも笑ってみせる。

「酷くもないだろ、あんたがその貴族共から狙われる事になったとしても、痛くも痒くもない筈だ。逆にあんたならそれを有効活用してその馬鹿貴族共を好きに操れる。所詮一冒険者の俺では持っていたところで手に余るモノだ、脅迫というのはそれなりにこちら側に力がないと成り立たない、格上相手に脅迫など始末されて終わりだ。残念ながら今の俺じゃ個人としての戦闘能力はあっても地位や組織的な力はないからな、それは宝の持ち腐れどころかただの危険のもとなだけだ。だがあんたならそれを使うくらいの力はある、それに……純粋にそれはあんたの欲しかったものじゃないかと思うんだが?」
「あぁそうだね、ウチの子達が誰も見つけられなかったものだからね、とても欲しいよ」
「ならそれはあんたのモノだ、残りは……改めて返事を聞いてからだな」
「返事?」

 怪訝そうな顔をした男に、セイネリアはそこで殊更ゆっくりと、相手に考えるだけの間を与えながら答えた。

「俺との協力関係さ、どうする? シェリザ卿を取るか、俺を取るか、最終確認だ」

 ボーセリング卿はそこで僅かに下を向く。そうして暫くの無言を返した後、彼の笑い声だけがセイネリアの耳に届いてくる。笑い声はだんだんと大きくなり、顔を上げた彼は満面の笑みと共に大声を上げて笑っていた。

「はは……あぁそうだったね、いいさ、君につくと約束しよう。きちんと書面で契約を結んだっていい、勿論その子も君にやろう。気に入ったよセイネリア、君なら必ず将来は大物になるだろう」

 互いに作り物と分っている笑みを浮かべ、セイネリアはボーセリング卿から伸ばされてた手を掴んだ。



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