黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【37】



 その言葉ではまだ、セイネリアが安堵するには至らない。
 だがとりあえずここまでは想定通り、この腹黒親父が有能であるならここまでの展開には自信があった。だがここからはイレギュラーになる、慎重に相手の表情を読まなくてはならなかった。

「ならあんたとの契約ついでに、この女はそのまま俺にくれないか?」

 それにボーセリング卿は僅かに顔を顰めた。カリンがずっとこちらの後ろについている事である程度は向うもその言葉を予想してはいただろうが、実際言えばいい顔をされない事は分かっていた。

「どうせ仕事に失敗したこいつは捨て駒にしかならないのだろ? だったら俺にくれないかと思ってな」
「……ふむ、情に流されるような男だとは思わなかったが」
「別に情が湧いた訳ではないな、ただ使えそうな女だから気に入った。利用価値があると思った女は珍しいし便利だから出来れば欲しい、捨て駒に回されるには勿体ないと思っただけだ」

 それは嘘偽りのない言葉ではあったが、ここで少しでもこちらが女に情を抱いていると思わせてはならなかった。この手の人間には情を見せればそれは弱点として付け入れられる。今後もこの男と付き合う事を考えればそんな弱さを見せる訳にはいかなかった。だからあくまでも女もただの交渉材料として扱う必要がある。

「……それにこれはあんたにも悪い話じゃない筈だ。なにせこの界隈では、部下が主に都合のいい発言をしても証人とは扱わない、という暗黙の了解という奴があるだろ? こいつが俺の僕になるのなら、あんたが俺を殺そうとしたという証人にはなれなくなる」

 その意味が分かったボーセリング卿の顔色が変わる。値踏みするような、こちらの真意を探ろうとするような目で見つめてきて確認するように聞いてくる。

「いいのかね、そうなれば君は一番大きな交渉材料を失う事になる。それでも私がシェリザ卿より君を選ぶとでも?」
「俺がそのカードを棄てるのは、あんたに対する信頼の証とでも思えばいいさ。互いに弱みを押さえあう関係では長い付き合いなど出来る訳がない、よい協力関係というのは互いの信頼のもとにあるべきだろ?」

 ボーセリング卿の顔の中、冷たい瞳はそのままで唇だけが満足そうな笑みを浮かべる。
 それで自らの勝利を確信したセイネリアもまた、余裕の笑みを崩さずに、懐から数枚の書類を取り出してテーブルに置いた。

「……これは?」

 怪訝そうな顔をして聞いてきたボーセリング卿がテーブルに手を伸ばしてくるのを、セイネリアはゆったりと背もたれに背を掛けたまま見ていた。手にとって読みだせば、暗殺者の元締めである男の顔色がすぐに変わる。
 つまり、これはダメ押しというヤツだ。

「そもそもソレが、あんたやあんたの依頼者達がナスロウ卿を殺したかった理由だろ。あのジイさんから俺が譲り受けたものだ、それをどうするかは俺の自由という訳だな」

 それは貴族や騎士団上層部の人間達の裏取引の記録だった。どの貴族が何者と関わりがあってどんな取引をしたか、ナスロウ卿が独自に調べたその報告書の一部である。勿論その中には、ボーセリング卿へ暗殺を依頼をした貴族達の名も取引内容も書かれていた。

「成程……これが君にとっての本当の切り札という訳か。君の自信はこれの所為だったのだね」

 今度は顔に笑みを浮かべる余裕もなく、ボーセリング卿はそれを握り締めてこちらを睨んできた。暗殺者の親玉『らしい』顔も出来るじゃないかと、内心セイネリアは楽しくて仕方なかったが、ともかくここでこちらの思惑通りの反応が見れただけで成功は決まったも同然だった。セイネリアは笑顔のまま、わざと何でもない事のように軽く答えた。

「それは、あんたにくれてやる」



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