黒 の 主 〜首都と出会いの章〜 【36】 だからセイネリアがさらりとそう言えば場の空気が一変する。流石にボーセリング卿の顔からも笑みが消え、その目がこちらの後ろにいるカリンを睨む。女の怯えが分ったセイネリアは、腹黒親父が何かを言い出すより早く口を開いた。 「だからこそ交渉だ、ボーセリング卿。何、あんたにも得になる話だと思うんだがな」 ボーセリング卿はそこでまた視線をセイネリアに戻した。 「……具体的に何を交渉したいのかね?」 「言ったろ、報酬の話さ。正直金など後でいくらでも稼げるものより、俺の為にあんたが少し協力してくれればいいというだけの話だ」 「……ほう」 もう笑みを浮かべていない男は、目を細めてこちらの真意を探ろうと見つめてくる。それにセイネリアは殊更椅子の背もたれに背を深く預けた余裕のありそうな姿勢を取ってみせた。 「あんたは分かっているだろうが、俺もそろそろこの窮屈な雇われ生活をやめようと思っているところなんだ。だが現在の主殿はそれが気に入らないらしくてな、だから後腐れなく綺麗に縁を切る為に、あんたにうちの主殿を説得して貰えればいいなという話だ」 「だからシェリザ卿のいないところで、といった訳か。だがそうすれば、私はたかが一冒険者の君の為にシェリザ卿との協力関係にヒビが入ってしまう事になる」 「構わんだろ、もともとシェリザ家はそこまで力のある貴族という訳でもない。それが勝ち過ぎたせいであちこちで調子に乗って恨みを買い過ぎているからな、ここで俺が去ればヘタをすると一気にそのツケに押しつぶされる可能性もある」 実際のところ、その見立ては間違っていない筈だった。だからこそシェリザ卿はセイネリアを手放す事を恐れている。セイネリアがシェリザ卿のもとを離れたら、きっと彼の政敵や今まで彼に負けていた貴族がセイネリアに声を掛けてくるだろう。それが怖いから離れるくらいなら殺してしまいたいというのがあの臆病貴族の腹の内だ。 ボーセリング卿もシェリザ卿に関しては同じ認識らしく、それに僅かに苦笑した。 「……まぁ、なかなか的確な予想だと思うが、交渉、というなら君の出せるカードはただ私を契約違反で脅すというだけではないのだろう? 得になる話というのは?」 「あぁ、そうだ。まぁ早い話、あんたの今後にとってシェリザ卿との繋がりを大切にした方が得か、俺と協力関係を作っておいた方が得か、という話さ」 つまり、ここからが本題だと、セイネリアは自分に言い聞かせて更に余裕があるように椅子に深く座ったまま足を組んだ。まさに化かし合いだなと思いながらも、ここからはどれだけ自分の言葉を相手に信じさせるかが勝負である。 ボーセリング卿はそこで少し高い声を上げて喉を震わせてから、彼もまた椅子に深く腰掛け、余裕のありそうな姿勢を取った。 「ほう……大きくでたじゃないか、君のアドバンテージはその強さと、ナスロウ家の財産、それとあのワラント婆とのつながりというところかな?」 勿論、それだけでも十分交渉条件としては悪くない。悪くないが、それだけだと言えば途端にこちらが小物になる事をセイネリアは知っている。だから、それらを軽く扱うくらいがハッタリには必要だった。 「あぁ今のところはその程度だな。だが、将来性を考えればどちらを選んだ方が得か、あんたなら見えると思うんだが」 それをさも自信満々に言って見せれば、多くの暗殺者を育て、使ってきてきた筈の男も目を軽く見開く。だがすぐに彼はくくくと喉を震わすと、そこから軽く声を出して笑いだした。 「成程、あぁ……そうだな、将来性か。君ならそれに賭けてみるのも面白いと思えるのは確かだ。……私はね、君がナスロウ家を継がなかったのにその財産を金に変えてしまわなかったことを実はかなり評価しているんだよ」 「金は所詮その金額以上の価値にはなり得ない。だがナスロウ家の名は使い方によっていくらでも価値をつけられる」 セイネリアが即答すれば、笑いながらもボーセリング卿は嬉しそうに目を見開いて、そうさ、と身を僅かに乗り出した。 「ただのごろつきならそうは考えない……確かに君は先が見えている……実に面白い、いいね、君には乗ってやっても構わないと思わせるだけのモノがある。……君が将来それなりの力を持つようになれば今回の『貸し』には大きな意味が出来るし、君の『将来性』に賭けてみるのは面白そうだ」 --------------------------------------------- |