黒 の 主 〜首都と出会いの章〜 【33】 クリュース王国首都セニエティ。国内の各領主達の収める領地にもそれぞれ中心となる街があるが、このセニエティと比べれば明らかに大きく落ちる為、他に『都』と呼ばれる程の街はこの国にはない。王城があるのは勿論だが、冒険者制度の本営である冒険者事務局本部と、国教である三十月神教の主神リパの総本山である大神殿があるのだから、名実共に国の全ての中心が集まる都として、だからセニエティは『王都』ではなく『首都』と呼ばれる。 久しぶりの首都はやはり人の多さに呆れてしまって、セイネリアは大通りを避けて裏通りに入る事にした。あまり人通りのない裏路地が危険なのは世の常識だが、セイネリアにとっては恐れる程のものがある筈がない。むしろこんなところで仕掛けてくるようなケチな連中にどうにかされるのなら自分にはこの先生きている価値もないと思うところだ。ただし、馬は乗っているものの他にもう一頭連れてきているから、あまり狭い道だとかなり困る事になる。それでもかつての記憶を辿ればどうにか目的地の近くにまで出られて、あとはもうそこまで人通りの多い場所はないかとセイネリアは息をついた。 セイネリアが目指すのは勿論主人であるシェリザ卿の屋敷である。シェリザ卿は領地をもたないが城で役人として働く宮廷貴族であるから貴族の中でも中の上程度の力はあって、首都の中でも貴族や高位神官が住む高級住宅街である北の東区周辺に屋敷を持っていた。その区画にくればあちこちの家の門前には警備兵が立ち、警備隊の人間もよく巡回している為治安が良くなる。また商売禁止であるから人の通りもすくなくなっている為、静かで平和な通りが続く。セイネリアは特に寄り道をする事なく、シェリザ卿の屋敷へと真っ直ぐ向かった。 「おぉ、久しぶりだなセイネリア、仕事の成功は聞いていたから何時帰ってくるのだと待ちわびていたぞ」 主であるシェリザ卿はそれはそれは機嫌よく満面の笑顔でセイネリアを迎えてくれた。……当然、演技だろうが。彼としてはナスロウ卿と自分が相打ち、という結果が望みだったに違いない。そうして、一度自分の部屋に帰って荷物を置いてからくるように言われた茶の席では、やはり当然ながら思った通りの人物がいた。 「やあ、無事仕事を終えてくれた事には感謝しているよ、ご苦労様」 『犬』の飼い主であるボーセリング卿――自分が首都に着く前には彼に連絡が行っていて当たり前だと思っていたから別段驚く事はない。 気に入らないタヌキ親父にはお辞儀だけを返して、疲れたふりで椅子に座ったセイネリアは彼が二人の『犬』を連れているのを見て少しだけ目を細めた。 一人はなんという事はない、主の護衛役だろう相当の手練れに見える人物だが、もう一人は少しばかりひっかかるものがある。なにせまだ若い、いかにもまだ人を殺した事もなさそうな女で、まさか護衛で連れてきているとは思えなかった。だからおそらく……、と考えたセイネリアの予想は、ボーセリング卿によって簡単に肯定された。 「あぁ、これは君への特別ボーナスと言ったところだよ。帰って来たばかりで若い君なら今夜は女が欲しいところだろ? そのためにね、うちの子達の中でも一番見た目が良い子を連れてきたんだ。しかもまだ生娘だ、どうかね、こちらの感謝の気持ちを受け取って貰えただろうか?」 セイネリアの視線を追ってそう答えたボーセリング卿は、相変わらずにこやかな紳士の顔で下種な事を言う。 「あんたがそういう方面の斡旋もしているとは初耳だ」 「それが専門の者はいないけれどね。ただ仕事柄、彼らにはそちらの訓練をさせないとならないだろ?」 「確かにな、ナスロウ卿のもとにいた女はなかなか良かった」 さてどう答えるかと試すつもりで言った言葉に、ボーセリング卿はいかにも悲し気に表情を曇らせると、涙など出ている筈がないだろうに目頭を押さえて見せた。 「あぁ、あの子はとても可哀想な事をした。どうやら長くナスロウ卿のもとに居た所為で情が湧いてしまったらしくてね、後を追って死んだらしい。幸い、死体はこちらで見つける事が出来たからちゃんと葬ってやれたけれどね」 本当に気の毒そうにそう言うタヌキ親父の嘘だらけの言葉に、セイネリアは唾を吐き掛けたい気分になる。ただそう言ってくるという事は向うもこちらを試している可能性もあった。アカネの他にいたもう一人の『犬』から自分が真実を知ったかどうか、こちらの反応を見てみようというつもりがあるのかもしれない。 「そうか、いい女だったのに勿体ないな」 だからセイネリアはあまり興味もなさそうに、殺した『犬』に言ったのと同じ台詞をさらりと言って、もう興味がないという顔をしてみせた。そうすればボーセリング卿の顔に厭らしい笑みが浮かんで、紳士の顔が娼館にやってくる下種親父共と同じ顔に変わった。 「そうだろう、あの子はまだ慣れていなかったからね。君は相当娼館界隈では有名だからね、却って少し慣れないくらいの子の方が良いというと思ったよ」 先ほどまで『可哀想』などと言っていた口で平気でその女に下種な笑みを浮かべられるのだから、中身の腹黒さと下種さは相当だなとセイネリアは思う。ただ、わざわざ生娘を寄越した理由というのもそれで分かった、つまりこの親父の趣味と自分も同じ趣味だと思われた訳だ、と。 その考えはセイネリアとしては不快であったから、僅かに眉を顰めた。 「……なに、あんた程じゃない」 小さく呟いて腹黒親父の顔を見れば、自分が少し余計な事を言ったと自覚したのか、ボーセリング卿は下種親父の表情を消して再び穏やかな紳士の笑みを顔に張り付けた。 「勿論、特別報酬だけでなく約束していた報酬分も弾ませて貰う。シェリザ卿も今夜は君の為に酒宴を開いてくれるそうだ。ともかく今日はゆっくりと楽しむといい」 人生最後の宴を――とでも心の中で付け足したのだろうと考えれば、その裏の意図はおおよそ全て予想出来た。だからセイネリアは笑ってしまいそうになりながらも、部屋の隅で話を聞いているだけだったシェリザ卿に恭しく頭を下げて見せた。 --------------------------------------------- |