黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【32】



 ナスロウ家の屋敷それ自体はさほど古くなかった。住んでいた者達の年齢を考えれば意外な気もするが、そもそも彼らがここへ移り住んで来たのはつい最近だから何もおかしい事ではない。領地のなかったナスロウ卿は騎士団を辞めた後、首都にあった屋敷を売り払ってこの森を買い取り屋敷を建てたのだ。

 ナスロウ卿の言っていた『あの方』、つまり前ナスロウ卿の時代にはすでにナスロウ家は領地を失っており、当時でももう旧貴族であるという事以外には価値のあまりない家になっていた。どうやらその前ナスロウ卿の更に先代がそれで苦労したらしく、だからこそ自分の息子にはせめて騎士として誇れるようになって欲しいと厳しく育てたという事だ。だから前ナスロウ卿は『旧貴族』という名前だけの肩書に虚しさを覚えて、その肩書さえも捨てようと貴族でも何でもない青年に跡を継がせたのだろう。恐らく、だから気にするなとでも本人に言っていたろうに違いない。それでも小部族あがりの青年は家の名を汚さないよう、養父の為にこれ以上なく立派な騎士になったのだとは思うが。

 ここ数日、ナスロウ家の記録や歴代の当主が残していった文書などを読んでいたセイネリアはそう考えた。没落しそうだった旧貴族の家が、旧貴族の肩書と引き換えに騎士の家としての誇りを取り戻した、というところだろうか。あんたは十分に養父の期待に応えたろうよ――セイネリアはそう思ったが、彼が最後にこの家を託そうと選んだ若者が自分だったのだけは失敗だったなと、それには少し同情もした。

 ナスロウ卿の葬儀が終わって、ガラでもない書類処理の仕事がやっと一段落ついてから、セイネリアは屋敷の中を自分にとって使えそうなものがあるかどうか見て回っていた。
 欲しい物はやると言われたのだ、そこは遠慮などする気はなかった。装飾品や金目の物は別に欲しくはないが、こちらにとって『使える物』で更に言えば入手し難い物などあれば貰っていこうと思っていた。それでも元々があまり物を持たない性分の元の主の所為かそこまでのものはなく、だから結局その物色のメインは武器庫になってしまうのだが……ここへくればやはり、真っ先に目が行く槍を見てセイネリアは苦笑する。

「結局、これに認められる事はなかったな」

 認められないのなら、いくら欲しくても貰っていく気はセイネリアにはなかった。相当の労力を使って持って行って、認められるまで試す程の執着はない。まぁたまにここへ来ることがあればまた試してみるくらいはするかもしれないが。
 それでもここ数日は事務処理に追われて試しに来ていなかったから、最後に試してみるかというつもりでその日セイネリアは武器庫にきたというのもあった。それはそれくらいこの槍が欲しかったというより、結局認められなかったという事がやはり悔しかったというのが大きかった。ただしそこまで期待していた訳ではなかったから、あくまでいつもの日課のようにセイネリアはその槍を掴んだ。

 だがいつもなら掴んで、持ち上げようとしてその重さに顔を顰めて諦めるだけで終わる作業がその日は違った。

 持ってから驚く程普通に持ちあがった槍から、手に脈打つ何かの流れを感じる。どく、どく、と腕を伝ってくる何かの熱い流れに最初は驚いたセイネリアだったが、口元に笑みを浮かべると槍の斧刃を覆っていた布を剥いだ。
 現れた刃は、前に見た時とは何かが違った。
 姿形は変わらない筈なのに、今までとは違う何か禍々しくも吸い込まれるようなその煌きと鋭さに、見るだけで心をざわつかせる何かを感じた。それは直感として感じたものでは、狂気、と呼ぶのが近いのだろうか。
 セイネリアは更に笑みを浮かべ、まるでうっとりと見惚れるように目を細めた。

『――ダ――オマエ、ガ――』

 それから頭の中に声が聞こえて、あぁこれがナスロウ卿の言っていた声かとセイネリアは思う。ただそれは言葉としてははっきりと分らず、それより槍の意識のようなものが流れ込んで来てそこでセイネリアは理解する、自分が槍に認められた事とその理由を。
 やがて次々に今度はさまざまな場面の一部のようなイメージが頭の中に流れ込んできた。これをどのような人間がどのように使っていたか、どんな力があるのか、そうして――この魔槍がどう作られたか、どんな意志がこの中に宿っているのか。
 おそらく、時間は大して経ってはいなかったのだろうと思う。
 恐ろしい勢いで意識に流れ込んできたイメージが唐突に途切れてセイネリアの意識は現実に返ってきた。それで持ち上げた槍をぐっと握りしめ、軽く振ってみたセイネリアは口元の笑みを消さないまま呟いた。

「そうかじいさん、だからあんたは俺ならいつか分かると言った訳か」

 分ってみれば簡単な事だった。この槍が主となる者に望んでいたのは『覚悟』、殺す事を躊躇わない、情に流されない、ただ冷静に、迷いなく、力をふるえるその覚悟ある者に使われたい、と。言葉ではないが大量に流れ込んできたイメージの中でセイネリアはそれを理解した。だから槍がセイネリアを認めた直接の理由は、師であるナスロウ卿を殺した事と、それに心をまったく乱さなかった事であるらしい。

「まぁいい、普段使いが出来るものではないが、ここぞという時には使えるだろう」

 言いながら一度構えてみせて、それからセイネリアは槍を元の場所に置いた。持って行くか、と考えたら、それは呼べば自分から手元に来てくれるというのが即座にイメージで浮かんできたからだ。その感覚自体は気色悪いが、それが魔剣などの魔法武器の主になるという事なら仕方ない。槍の記憶はかなりこちらに入ってきていたが、槍の意志はこちらから呼びかけなければ感じられない程度のものだ。これなら慣れればいいだけだとセイネリアは考える。

 ただ……この日から更にセイネリアは魔法使いを嫌いになる事にはなったのだが。



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