黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【31】



 『犬』二匹ともから連絡が途絶えたとなれば、まず偵察の人間を寄越すのは予想していた事だった。
 次の日の夜にセイネリアの部屋の窓へ直接やってきた別の『犬』は、当然ここにいた『犬』達はどうなったのかとまず事情を聞いてきた。そこでセイネリアはアカネの事は知らんとシラを切り、男については自分とナスロウ卿の勝負中に何かしようと出てきたところをナスロウ卿に殺された、と説明した。
 それに納得したかどうかは知ったところではないが、とりあえず報告を聞いたその『犬』は大人しく去っていった。……まぁもしかして残ってこちらを見張っているのかもしれないが、それならそれもいいとセイネリアは思っていた。どうせ後はここの屋敷の整理や事務手続きに暫く追われるだけで、ボーセリング卿が怪しむような何かをする暇もない。死んだ女の遺体を探すなどという気はないし、殺した男の遺体は正直に川に流したと言ったから嘘がバレないように取り繕う必要もない。ここの屋敷回りをどうするかのケリがつけば、さっさと首都に帰ってちゃんと真っ先に『ご主人様』であるシェリザ卿のもとに行くつもりもある、なんの問題もなかった。

「本当に、あの子はどうしたんでしょう」

 ここにきた最初の日に自分を案内してくれたメイド長の女は、アカネが消えた昨日から口癖のようにずっとそう言っていた。実際、他の使用人達と探しにもいったようだが、主の葬儀の準備もある為そちらばかりにかまけている訳にもいかず、今では仕事の合間、ふと息を付く度そう呟くだけになっていた。

「……もしかしたら、見たのかもしれないな。俺が去ってからあんた達が行くまで少し時間があったから」

 何を、とはここで言わなくても分かるだろう。そして自分よりずっと長くここにいた女がナスロウ卿とアカネの気持ちにまったく気づいていない筈はない。だから彼女はセイネリアのその言葉を聞くと、口を押えて苦しそうな顔をした後涙さえ浮かべ、それから下を向くと諦めたようにため息をついた。

「そう、かもしれないわね……えぇ、きっとそうなんでしょう」

 嗚咽の声が小さく聞こえる。この女がアカネの事を嘆きのあまり失踪したのか、それとも後を追ったと思ったのかは知らないが、ともかく無駄に探し回ったりされたら後味が悪いから適度に理由をつけて諦めてくれればいいと思う。

「子供でもない、今の時点で帰って来ないなら探してもらいたくもないだろ」

 そうすればメイド長は暫く黙ったあと、疲れた顔をして顔を上げた。

「えぇ……でも、もしあの子が思い直して戻って来てくれたなら……その時にここに誰もいなかったらと思うで可哀想で」

 最初セイネリアは一瞬だけ彼女の言いたい事が分からなかった。だがすぐに思いつくと、面倒そうに大きくため息をついた。

「誰かはいるだろ、別にこの屋敷を売る気はない」
「そうなの? だって貴方……」
「主がいないのだから維持費は最小限まで落とすが屋敷自体はそのままだ。あんたみたいに放りだしたら行き場がなさそうなジジババ共は追い出さないから安心しろ」

 そうすれば涙まで浮かべていた女は驚きながらも喜色を露わにして、手に口を当てて目を見開いた。

「あら……まぁ……私はてっきり、貴方が旦那様の養子の話を断ったなら、ここを処分するものだと……」
「何を言ってるんだ、家を継いだならまだしも俺は跡継ぎを決める役を押し付けられただけだぞ。手間賃として処分するモノくらいは貰っていくが、継がせるものを全部貰ったらただの横領だろう」
「でも……貴方、グローグに旦那様の資産の見積もりを作らせたじゃない」
「それは作らせるだろ、代理人なら把握する必要がある。幸い、ここを最小限で維持するくらいならあのじーさんが残した財産内で問題ない。維持費をこっちで出さなきゃならんようだったなら売っぱらったかもしれんがな」

 あぁ面倒だ、と思いながらもさっさとその事を使用人達に伝えなかった自分も悪いかとセイネリアは思う。別に親切や恩返しというものではなく、ここでナスロウ卿の財産を全て売っぱらってもただの『金』になるだけだが、元旧貴族の家の跡取を決める権利は『金』では買えないものである。将来的にいくらでも利用価値があるし、余程今金がどうしても必要というのでないなら急いでうっぱらう程の事ではない。

「貴方……口は悪いしガサツで性格も悪そうでしたのに、思ったより真面目で義理堅いのね」

 すっかり驚きの顔から笑顔に変わった老メイドは、それからにこにこ笑って礼を言いながら頭を下げた。それに思わず居心地が悪そうに顔を顰めてしまったセイネリアは、やはり面倒そうに答えた。

「それは間違いだな。単に、代理人としてケチを付けられたらムカつくからきちんと管理してやるだけだ。それに人からただ与えられただけのモノにはあまり興味がない」

 全てはこちらの計算から出ただけの結論だ、『いい人』などとは思われたくないから、それはいかにも冷たそうな顔をして言ってやる。だが珍しく今回だけはセイネリアのその思惑は失敗したらしい。老メイドは笑顔を崩さずにやはり嬉しそうな声で言ってきた。

「やはり旦那様は見る目があった、と私は思うの」

――まったく、老人というのは。

 セイネリアは舌打ちさえしたい気分で、勝手に言ってろ、と言って書類に目を戻した。



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