黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【30】



 その日の内についにアカネを見つけられなかったセイネリアは、夜になってその事情を知っている筈の人間を呼び出した。二人一緒に消えれば問題があるとボーセリング卿が判断したのかもしれないが、普通に厩舎にいたもう一人の『犬』を見つけたセイネリアは『今後の事をお前の主と交渉したい』から後で話したいと告げたのだ。男は返事をしなかったが、それで来ない筈はない。

「さて、お疲れさまでした、とでも言うべきでしょうか。貴方は見事我が主の依頼通り仕事を完了させてくれたのですから」

 来た途端、機嫌が良さそうに(というのもわざとだろうが)セイネリアに深々とお辞儀をしてみせた男を見て、セイネリアもまた機嫌が良さそうに笑みを浮かべて聞いてみた。

「あぁ、やっとこの窮屈な生活から解放されるという訳だ。ナスロウ家についてはあのジジイからいろいろ託されたからな、その処分やらなにやらで手間が掛かるが……これは、別口の俺の報酬として当然貰っていいんだろうな?」
「えぇ、それは貴方がナスロウ卿から貰ったものですから、それを差し出せなんてことは我が主はいいませんよ。ただ出来れば、貴方がナスロウ卿となって今後も協力してくれたほうが主は喜ぶとは思いますが」
「それも考えたが、貴族というのは好きじゃなくてな」
「好き嫌いで判断するような人物ではないと思ってましたが」
「まぁな、だが貴族位より、それを全部金にしたほうが自由が利くだろ」
「成程、まぁそこは貴方のお好きにされるといいでしょう」

 この男はまだ自分という人間をそこまで分かっていない筈、だからよくある腕自慢の冒険者らしく振舞ってやればいい。相手が思っている通りの人間だと分かると、この手の者でさえ見下して油断するものだ。

「ところで一つ聞きたいんだが、もう一人の『犬』はどうしたんだ? あの女はもう首都に戻ったのか?」

 それは少し残念そうに。そうすれば、今の高揚した気分のまま女が欲しかったのだとでも見えるだろう。

「あぁ、あれは処分しました」

 セイネリアの思惑通り、男はあっさりと真実を答えた。

「そうか、勿体ないな、いい女だったのに」

 心底残念そうに言いながらも、セイネリアは笑みを崩さなかった。

「いやでももう役目は終えていましたからね、それにナスロウ卿が死んだ後に騒がれると困りますから、さっさと処分する事にしました」
「なんだ、あの女はナスロウ卿の愛人でもあったのか?」

 相手の笑みも変わらない。それどころか、馬鹿にするように喉を震わせてまで笑って、男は口を滑らせる。

「そうですね、愛人になれる程有能だったら使い道があったんですけどね、根が初心(ウブ)過ぎて使い物にならなかったんですよ。でもだからこそここに置けば、ナスロウ卿もアレに情が湧くだろうと考えましてね」
「つまり、保険という訳か?」
「えぇそうです、情が湧けばアレの為にナスロウ卿が自ら殺されてくれるかもしれませんから」

 笑う男に、笑いながら頭を掻いてセイネリアは近づいていく。男は最後までセイネリアの意図に気付かなかった。

「確かにな、いい考えだ」

 言って、笑いながらセイネリアは男の腰ベルトを掴んで引き寄せると、男の腰から短剣を抜いてその喉を斬った。笑みを驚愕に変えて声も出せず血にまみれた男を、セイネリアは笑みを崩さないまま見ていた。だがそれが地面に崩れ倒れてからは、その体を足で蹴って転がし、表情を消した冷たい視線を男に投げた。

「な……ぜ」

 ごぼりと、地面に大量の血を吐いてそれだけ言った男に、セイネリアは顔と同様に感情のない声で答えた。

「別に。ただ貴様の笑った顔がムカついただけだ」

 男はまだ何かを言いたそうに此方を睨んで口をパクパクと動かしたが、セイネリアはそれをつまらなそうに見下ろして呟くように言い捨てた。

「安心しろ、所詮貴様もあのタヌキ親父の捨て駒の一つに過ぎない。お前が死んでもあのジジイは俺が無事仕事を終えた事を喜んでくれるだろうよ」

 それからすぐ、男の瞳から力がなくなり、その体から命の気配はなくなった。



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