黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【23】



「6年か……それなら、騎士になった頃にはかなりいい歳になってたろ」

 そこで茶化せば、ナスロウ卿は機嫌のいい時のくしゃっとした笑い方で笑う。

「まぁな、で、無事騎士になった俺にナスロウ卿は言ったのさ、お前、俺の息子になるかって」

 本当に嬉しそうな笑みを浮かべたまま、老騎士の瞳は遠くを見つめる。その瞳は少し潤んでいるようだった。

「……ナスロウ卿は結婚はしてたんだが、奥方は病弱で、子供が生まれなかったんだ。そんな状態だ、そりゃぁあちこちの貴族の家から自分の息子を養子にしないかって話があるのは従者時代にたくさん見てた。俺はその場で嬉しくてすぐ返事してしまったんだが、貴族の血筋じゃない俺を養子に取るってのがどういう意味を持つか、後で知って青くなったものだ」
「血筋が途絶えれば、旧貴族ではなくなる、か」

 普通は平民が貴族の制度など知る筈がない。だが知った時はさぞ青い顔をして狼狽えたのだろうなとセイネリアは思う。自分の所為で恩のある貴族の家の格が落ちると分かれば、その責任に恐ろしくなったろう。
 ナスロウ卿は瞳を遠くに向けたまま、自嘲気味に苦笑する。

「そうだ、だからそれを知った俺はあの方に言った、自分は貴方の息子になれただけで十分だ、だから跡継ぎには別にちゃんとした貴族の息子を養子に迎えてくれって。俺なぞを跡継ぎにしてナスロウ家の格を落とす事はないと。……だがあの人は言ったんだ、『最近の貴族の馬鹿息子は騎士どころか剣をまともに振れるものさえ希だ、騎士の誇りを引き継げぬ者にこのナスロウの名をくれてやる気はない。貴族としての格よりも、王国の騎士としての名の方が大切だ』とな。だから俺は、そこまで言ってくれたあの人の為に立派な騎士になれるように頑張った。あの人に恥をかかせない為に、誰よりも誇り高く強い騎士になろうと思った」

 そうして小部族出の青年は、貴族としてクリュース騎士団で英雄と呼ばれるまでになった――まるで詩人の詩か子供向けの童話のような内容だと、セイネリアはそれを鼻で笑った。

「だから今度は、俺にあんたと同じ道を行けと?」

 この男がここまでになったのも、本来が貴族の出ではなく、それでも文句を言わせないだけの人間になろうと努力したからだろう。確かに今の貴族共の腐りぶりを見れば、まともな騎士をもとめるなら平民から実力のあるものを探した方がいい。――優遇されるのが当然の位置にいれば人間というのはただ堕落していく。最近は冒険者に爵位を売って貴族の地位を追われる者も多い事を考えれば、貴族達は自らの優位性を主張するあまり衰退していくと言えるだろう。まさに自業自得だな、とセイネリアは鼻でせせら笑った。

「そうなるな、悪い話じゃない筈だが」

 自分と同じになれ、とは流石に言いにくいのか、ナスロウ卿は僅かに表情を歪ませて苦笑した。

「まぁ普通は『イイ話』なんだろうな」
「……だめか?」
「あぁ、答えはノーだ」

 こちらが断るだろう事は薄々気づいていたらしいが、あまりにも迷いなくセイネリアが即答した事は彼も想定外だったらしい。ナスロウ卿は明らかに驚いた顔でこちらを見ている。

「何故だ? お前は強くなりたいんだろ、貴族の地位があれば損になる事はない、騎士になっても下っ端で燻(くすぶ)る必要がなくなるぞ」

 まぁそれは確かにそうではある。ついでに言えば、今の自分が置かれた状況にはかなり都合がいいと言えなくもない。ナスロウ家の養子になるならシェリザ卿と手を切るのも簡単だし、渋るならボーセリング卿の方につつかせる手もある。あのタヌキ親父はセイネリアがナスロウ卿になる事は歓迎するだろうから……と、そこまで考えられても、セイネリアは答えを変える気はなかった。

「そうだな、確かに貴族であればいろいろ有利ではあるだろうな、損する事はない」
「なら何故だ」

 身を乗り出してくる老騎士の瞳には酔いの色は見えない。酒に強いか、話で酔いが飛んだか……ともかく、セイネリアがここまで貴族になるのにまったく興味を示さないのは、彼には信じられないのだろう。

「俺は、人から与えられるモノは嫌いなんだ」

 だがセイネリアがそう答えると、ナスロウ卿の表情が変わる。

「せめて何かの困難な成果の末の報酬とかであればまだしも、ただ気に入られたから貴族の養子にしてやる、など運が良かっただけみたいでつまらないだろ。それに……地位があればその地位に縛られてやれる事が制限される、それもつまらない」

 そこまで言えば、ナスロウ卿の瞳からは驚きが消えて、彼の顔には後悔と自嘲の笑みが浮かんだ。




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