黒 の 主 〜首都と出会いの章〜





  【20】



 空はうっすらと白くなっている。
 この屋敷の使用人でも一番早起きの執事が起きるより早い時間、セイネリアは庭で剣を振っていた。
 既に慣れた早起きは今では苦でもなく、逆に出来るだけ早く強くなりたいから寝てる時間が惜しいと思うくらいだった。何度も何度も剣を振る事で型を体に覚え込ませれば、頭で意識せずに正しい動きが出来るようになる、その繰り返しの積み重ねこそが重要なのだとナスロウ卿は言っていた。セイネリアはここにくるまで剣をマトモに使ったことがなかったが、それは逆にいい事でもあるとも騎士団の勇者でもあった老騎士は言った。使い方が分らないからこそヘンなクセを覚え込ませず正しい動きが覚えられる、習うのが遅れた分はこれからどれだけお前が本気で鍛錬を重ねるかに掛かっている、と。
 実際、戦いにおける斧の使い方は自己流で、ナスロウ卿はそちらはもう自分が口出ししない方がいいだろうと言い切って投げる事にしたらしい。確かにセイネリアも今更他人にどうこう指南を受けたところで扱い方をそうそう変えられる訳もないと思っていたし、それにそもそも今後は斧を普段の武器として持ち歩くつもりもなかった。時と場合によっては斧が有効なら使いはするが、習ったのなら剣か槍で戦えるようになりたかった。それは貴族騎士達にとって、斧に負けても言い訳が出来るが剣か槍ならいい訳のしようがないというのもある。後は剣の他に槍というのはあの魔槍の為と、実は他にも理由があった。

「槍、というと槍騎兵隊でも目指すのか? ……まぁ、今の騎士団にあって、唯一平民でも成り上がれる手段といえばそうだが」

 馬にのって武器を持てるようになった時、セイネリアが馬上槍も習いたいと言った時のナスロウ卿は不思議そうにそう聞いてきた。

「別に地位が欲しい訳ではないが、人に認められるのに有利な武器ではあるだろう?」
「ほう、お前も他人に強さを認められたいのか?」
「認められるというか名を上げれば更に強い奴と戦って強くなれる、それに雑魚にいちいち構わなくても名だけで排除できるようになるだろ、弱いゴミの相手など出来るだけしたくない」
「確かにまぁ……お前らしいな、それにお前なら向いてるだろう」

 ナスロウ卿が平民でもなりあがれる、と言った通り、実はクリュース軍における槍騎兵隊の存在は特別だった。
 かつて、クリュースの建国時、魔法使いを味方につけたクリュース軍の象徴であったのは魔法防御を纏った槍騎兵隊で、敵の攻撃を全て跳ねのける騎兵隊の突撃は何処の戦場でも最初に敵を蹴散らして戦況を決めてきた。とはいえ魔法防御は突撃時はいいもののその後の危険が多く、今では貴族の直系、特に跡取は騎兵隊に属する事は禁止されていた。だがだからこそ『騎士団において役職を持てるのは貴族のみ』という規則の例外として平民でも出世できる為、騎士団における一般兵達の憧れであり、また一番の精鋭部隊でもあった。
 いまでも戦いでは先陣を切って敵を蹴散らすのは彼らの役目で、彼らがいるからこそ腑抜けが多いと言われる騎士団の兵達がしばしば起こる蛮族の侵攻をあっさり食い止めていられるといっても過言ではなかった。

「俺も一時期は槍騎兵隊にいたことがある。……ただなセイネリア、あそこの隊は規律が厳しくてな、お前のような態度の悪い者は徹底的に教育しなおされるぞ。それにあそこはな……魔法使いに頭を下げないとならないんだ」

 にかりと笑って老騎士が言ったのを聞いて、セイネリアは思い切り顔を顰めた。

「前者はどうにか我慢出来たとしても、後者は嫌だな」
「はは、お前はどうやら魔法使いが嫌いらしい」
「まぁな」

 セイネリアが魔法使いを嫌いなのには生理的なものもあるが、娼館で育ったという事が大きく関係していた。というのも娼婦が妊娠した時、子供を堕ろす場合はまず大抵魔法使いに頼む事になるというのがあるのだが……それは魔法使いなら無料でやってくれるからで、勿論無料なのには理由があった。
 彼らが無料で請け負うのは、堕ろしたその子供だったモノが欲しいからである。
 ソレが何に使われるかは予想が出来ても、金のない女達は魔法使いに頼むしかない。けれども心情的に、そんな魔法使い達が娼館で忌み嫌われるのは当然だろう。
 初めて魔法使いを見た時、子供であるセイネリアは娼婦たちが嫌う理由はよくわからなかったが、嬉しそうに不気味な笑みを浮かべて娼館から去っていく彼らの姿が酷く不快だった事だけは覚えている。
 ……まぁもちろん、ただ嫌いだと言ってもセイネリアが感情的理由で行動する事などない。利用出来るなら利用するし、役に立つなら助けもする。ただ積極的には関わりたくないと思っているくらいだ。

「どちらにしろ、選択肢を広げておくに悪い事はない。勿論広げすぎると浅く広くなって意味がないのは分かっている……あくまで俺に合いそうなものだけに絞ったつもりなんだがな」
「そうだな……確かにお前にあっている、だろうな」

 それで苦笑をしたナスロウ卿は、それからふと思い出したように聞いてくる。

「……あれからあの槍を試してみたのか?」

 言われた途端、セイネリアは不機嫌そうに眉を寄せた。

「あぁ、試した。あんたに言われたからな、毎日一度は試しに行ってる」
「それはまた、随分熱心だな」

 言うと同時に喉を震わせて、老騎士は楽しそうに笑う。まるでこちらが毎回毎回だめだったかとむかつきながら武器庫を出て行くその様が見えてでもいるようで、セイネリアとしては面白くない。

「たまに試しにいけというのはあんたが言ったんだろ。……何もしなくてもある日突然使えるようになるものなのか、あれは」

 現状まったく手ごたえというか反応がないのだから、それを聞きたくなるのも仕方ないというものだ。ナスロウ卿はセイネリアの顔を見ると苦笑をするが、視線を外してどこか遠くを見ながら口を開いた。

「まぁ、何もしなくても、ではないのだがな……」
「ではアレに認められる方法みたいなものがあるのか?」
「そうだな、納得、させられたらだ」
「何を納得させられたらいいんだ?」

 そうすればナスロウ卿は、今度は顔から笑みを消して、どこか自嘲じみた顔をしてから呟いた。

「それは自分で考えろ。それにお前ならいつか分かるさ」



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