黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜





  【21】



 浅く掘った場所に、新しい護符を入れる。
 呪文を唱えて、上から土をかぶせれば手続きは終る。

「お前も、ロックランの洗礼を受けてくれりゃ頼めるのによ」
「神頼みは嫌いなんだ」
「お前みたいなのはそうだろな」

 この国の宗教は三十月神教といい、名前の通り多神教である。月の満ち欠けにそれぞれ担当の神が割り当てられているのだが、その中でも女神ロックランは森を司る神として、樵や狩人等、森の中で生活する者達に信奉されていた。だから樵の家に生まれたアガネルがロックランの信徒であるのは当然のことで、信徒であれば神官ではなくても神官達の使うその神殿に属した魔法がいくつか使える。
 今、彼がやっていたのは動物避けの結界の魔法で、ロックラン信徒の代表的な魔法の一つだった。冒険者達の間でも野宿をするような遠出の仕事の場合、キャンプを張るのにこの結界が必須とも言えて、大抵ロックラン信徒である狩人をメンバーに入れる事が多かった。

「さて、家の結界の更新はこれで終わり、と」

 固定の建物への結界は、野宿用のものに比べ手続きが面倒でその分長く効果がある。それでも定期的に更新をしないと効果はなくなるので、こうして森の中の住まいや共同山小屋などは結界の更新を怠らない事が重要だった。

「あんた達の術じゃ、動物は防げても人間は防げないからな、俺にはあまり意味がない」
「まぁそういうなよ。それでも一応、人間を追い払う事は出来なくても誰かが来たってくらいは分かるんだぜ」

 家周りの仕事が終ったら、今朝の分の森の見まわりになる。
 アガネルは立ち上がると荷物を抱え直し、セイネリアを急かすように早く行けと手で指示した。
 セイネリアはそれですぐに歩き出す。

「それくらい出来ないと、心配性のあんたは家を留守には出来ないだろ」
「まぁな」

 アガネルが娘を溺愛しているという事くらい、見れば誰にでも分かる。
 冒険者として名を上げていたくせにこんなところで隠居生活をして、しかもそれで満足そうにしていられるのだから相当だ。この男が家を離れる時は、更新の時じゃなくても必ず結界の確認をしてから行くくらい、アガネルは娘の事を一番気に掛けている。
 だがそれなら、とセイネリアは思うのだ。

「だったらいっそ、あんたの娘を鍛えれば良かったんだ。大抵の奴なら自分でどうにか出来るくらいにな」

 言えばアガネルが、すさまじく嫌そうな顔をして反論してくる。

「馬鹿おめぇ、女の子ってのは難しいんだぞ。筋肉でごつごつした体を気にしたりとかさ。それにな、ヘタに自信付けさせた方が自分であちこち突っ込んで危険じゃねぇか、お前みたいに」
「アガネル、そういうのを過保護っていうんだ」
「うるせ、分かっちゃいんだよ」

 本当に、娘の話になるとこの男はただの情けないクソ親父になる。親バカというのはこういうのをいうのだという典型な例だとセイネリアは思う。
 だが今に関しては、特にそのあたりには気を使ってもらわないとならない事情があった。

「で、さっきの話なんだが……」
「あぁ」

 話の内容が内容だけあって、アガネルも馬鹿親父から表情を一変させる。さすがに声も固い。

「ローレスティカって奴なら知ってる。あいつが俺を探してるってんなら心当たりはあるが……そんなにヤバイ雰囲気だったのか?」
「俺のとこにきてる話だと、この街に帰ってくる早々あちこちで問題を起こしてるらしい」

 昨夜、セイネリアが受け取ったクーリカからの手紙の内容は、アガネルを探している性質の悪そうな連中がいるから気をつけろというモノだった。
 その連中の頭の名前はローレスティカ。首都方面で活動していたのが最近この街に帰ってきたらしく、仲間とつるんでアガネルを探している、ということらしい。
 狙っている連中の名前まで書いてあったところを見ると、おそらくアガネルの名を聞いた時点で、そのもとにいるセイネリアを案じてわざわざ彼女が詳しい情報をどこからか聞き出してくれたのだろうと思われた。
 セイネリアとしては、聞いたからにはその話をアガネル本人には伝えるが、それ以上は直でこちらにとばっちりがこない限り関わらないつもりであった。ただ、恩というか彼には借りがあるから、それを返す程度には協力してやるのもいいとも思ってはいた。
 アガネルは強い。
 向こうの狙いが彼だけで絶対に彼以外には手を出さないというのなら、彼が恐れる必要はほぼないといってもいいだろう。
 けれども彼には、ほぼ唯一にして致命的な弱点がある。
 いくら彼の強さが圧倒的であってもどうにもならないその弱点は、言うまでもなく彼の娘であるリレッタだ。
 相手がどれだけ取るに足らない馬鹿者であったとしても、リレッタを盾に取られる事があればこの男は何も出来ないただの父親に成り下がる。それがわかっているから、この強い男に『もしや』の事態もあり得ると考えられた。
 
「昔の仲間だ。……ただ、俺が抜けてからは、いろいろ上手くいかなくなったらしくてな……ここ何年かは向うも連絡を寄越さなかったし、噂話も全く聞かなくなってたな」

 それだけで、セイネリアにはローレスティカという男がどれだけ小物かという事がわかる気がした。全く世の中にはどれだけ阿呆が多いのだとセイネリアは思う。

「つまり、あんたに頼って仕事こなしてたのが、あんたがいなくなって美味い思いが出来なくなった。それを根に持ってる可能性があるって事か」

 アガネルはその言い方に苦笑する。

「ローも別に無能じゃないんだ。ただちょっとな、大きくて派手な仕事ばっか受けようとするから戦力を見誤って失敗する。冒険者を辞めた後も何度も俺に連絡寄越してな、最初はただ復帰してくれって頼む内容だったんだが、その内仕事が失敗したのはお前の所為だ、どうしてくれるって脅しみたいな内容になってな……」

 それはただの馬鹿じゃないかとセイネリアは思う。典型的な無能だと。

「どちらにしろ、自分の力の足りなさを人のせいにする時点でただの馬鹿だな」

 別に実力以上の仕事を取る事までは否定はしないが、それが失敗したからといって人のせいにするのは愚かすぎる。人のせいにした段階で反省しない、反省しないから学習せずにまた同じミスをする。馬鹿が馬鹿のまま一生終わるパターンだ。

「悪い奴じゃなかったんだがなぁ」

 アガネルの声は暗い。元仕事仲間というだけあって、その人物を彼は信頼してはいたのだろう。
 セイネリアとすれば、そんな事をいう彼には笑いしか湧かない。

「こっちの情報を信用するしないはあんたの勝手だが、信じたくない情報だから信用しないっていうならあんたもただの馬鹿だ」

 ちらと振り返れば、アガネルの顔にはその強さに相応しい凄みのある笑みがあった。

「いってくれるじゃないか、若造が」

 それでセイネリアも彼に笑みを返す。

「その若造に馬鹿にされたくなきゃ、無様な姿は見せないようにしてくれ」
「分かってるよ」



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