黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜





  【20】



 次の日の早朝、まだ部屋の主のベロアが寝ている間に彼女の部屋を出たセイネリアは、慣れた森の道を歩いていた。
 この四年間、常に歩いてきた道には不安を覚えるものはなく、意識して注意してみても特に異常があるようには見えなかった。この森はかなり奥でも人がくるのはそう珍しい事ではないから、誰かの来た跡を見つける事があってもそれ自体おかしい事ではない。けれども今は、それにも必要以上に疑いの目を向けてしまう。

 やがて、何事もなくアガネルの家が見えてくれば、外にはそのアガネル本人の姿があった。

「お、この不良息子め、朝帰りとはいい度胸だ」
「俺はあんたの息子じゃないだろ」
「四年も育ててやったんだから同じようなもんだろ」
「息子だなんて言葉は気味が悪い」
「ほんとに可愛くないな、おまえは」

 言いながらアガネルは笑って家の方に向かう。もしかして自分が帰ってくるのを待っていたのかとも思ったが、この時間にこの男が起きている事自体はいつも通りの為そこまでは考えない事にした。
 ただ彼が一人で外にいるのなら、早い内に話しておきたい事があった。

「おい、アガネル、ちょっと話があるんだ」
「お、なんだ?」

 だが、彼が足を止めて振り返ったところでまだ開けていない筈の家の扉が開いて、余り話を聞かせたくない人物が姿を現してしまった。

「おー、リレッタ。もうメシ出来たのか?」

 顔を出したリレッタは、じろりとセイネリアの顔を睨む。

「どこいってたのよ、父さん心配して、今朝早くから街行くっていってたのよ」
「おい、リレッタ」

 それを聞けば思わずセイネリアも顔が険しくなる。最近のアガネルは、おかしいくらいにセイネリアの事を気に掛けている気がした。

「事務局での手続きにやたら時間が掛かって、羽根を売りに行った後にはすっかり暗くなってたんだ。だから街で知り合いに泊めてもらった、遅い時間に一人で森を歩くなってのはあんたが言ってた事だろ?」

 セイネリアがアガネルを見れば、バツが悪そうに男は頭を掻く。

「まぁ、な……」

 歯切れの悪いものいいと彼の視線が娘に向けられているのを見れば、どうやら自分が帰らない所為で騒いだのはリレッタらしいと予想出来る。
 試しに彼女の顔を見てみれば、気付いた彼女に睨み返される。
 セイネリアはそれで笑いそうになる。大方、彼女を残してセイネリアが首都へ旅立ってしまったのではないかと、そう彼女は思ったのだろう。
 険悪な二人のやりとりをみたアガネルは溜め息をついて、顔を半分手で隠しながら苦い顔をする。だが彼はすぐに表情をわざとらしい笑顔にして、セイネリアに向けてこう言ったのだ。

「あぁセイネリア、お前メシ食う前に水汲んでこい。リレッタもな」

 セイネリアは返事をせず、ただ嫌そうに眉を寄せた。
 リレッタは見せつけるように笑顔を浮かべて、大きな声で父親に了承を告げた。

――何考えてるんだ、あの親父は。

 帰ってきてから早々、女のヒステリーに付き合わされるのはごめんだった。
 それに今、セイネリアにとって出来れば早く話をしたいのはリレッタではなくアガネルの方だった。セイネリアは自分の負の感情を表に出す事はあまりしないが、それでも今は不機嫌になるのは仕方ない。それは出来れば彼女がこちらの空気を察して話し掛けてこなければいいという思いもあった、のだが。……やはり、リレッタはそんな事で遠慮をするような人物でもなかったらしい。
 水場について、水桶に水を汲みだしたセイネリアに彼女は話し掛けてくる。

「さっきの、本当なの?」
「何がだ」
「だから、事務局で時間かかったって……」
「少なくとも、さっきいった言葉に嘘は一つもないな」

 それでも彼女は何か納得がいかないのか、セイネリアのことを不満そうに見てくる。
 ただ、少しおかしいと思うのは、家から出て来た時の勢いならすぐうるさくあれこれ聞いてくると思ったのが、実際二人きりになってからは確かに話し掛けてはくるもののいつもの勢いはなく、何か言葉の歯切れが悪い気がする事だ。
 仕方ないので、こちらから彼女の一番気になっているだろう用件を言ってみる事にする。

「俺が、お前を置いてさっさと出発したのかと思ったんだろ?」

 そうすれば彼女は一度睨みつけてきて、そうよ、と言い返しはしてきたもののすぐにまた視線を外した。セイネリアとしては彼女の態度は気味が悪い。

「アガネルが今度首都行きの隊商に口をきいてくれるって話だからな、今のところは大人しくそれで行くつもりにしてる。それにお前を連れていかないって決めたんならな、アガネルに言ってお前が無理矢理ついて来ないようにするからすぐに分かると思うぞ」
「な、父さんに言う気なの?」
「連れていかないなら、の話だ。いまはまだ言ってない」

 それで彼女は、それまでの微妙な顔から、今度はハッキリとした視線でセイネリアを睨みつける。

「どうすれば連れて行くのよっ」
「お前に連れてくだけの価値があるなら」

 自分の分の水桶を汲み終えたセイネリアは、彼女の水桶を出すように手をのばした。
 リレッタは自分の水桶をセイネリアに乱暴に押し付ける。それからいつも通り、彼女は癇癪をおこして叫んだ。

「あんたの言う価値って何よ。どーせあんたにとっちゃ、私は女としての価値はないようだしね。……ねぇ色男さん、昨日は知人のところへ泊まってたなんて嘘で、どっかの女と楽しくやってきたんでしょ、そんな香水の匂いなんかさせちゃってさ」

 顔を赤くしてまで言ってくる彼女に、セイネリアは軽く驚いた顔をしてみせる。――彼女の今の発言で、やっとセイネリアは今までの彼女の匂わせる微妙な空気の原因に気がついたのだ。

「――あぁ、それでさっきからそんな遠まわしに聞いて来てたのか」

 やっと納得がいったセイネリアは、その理由の馬鹿馬鹿しさと女という生き物に呆れた。
 セイネリアは汲んだ水桶を彼女に渡す。

「別に嘘は言ってないぞ、泊まったのは知人の女のところだ」

 セイネリアとしては、彼女がおかしい原因がわかってしまえば後は興味はなかった。途端に彼女の言葉をまともに聞く気さえなくなってくる。

「どういう知り合いなのかしらね」
「少なくとも、お前よりもずっと前からの知り合いだな」
「そう、それで不自由してない、って訳ね」
「まぁそうだ」

 リレッタは黙る。
 セイネリアは無視をして自分の水桶を持ち上げて歩き出したが、彼女がそれについてきていないと分かると、面倒だと思いながらも足を止めて振り返った。
 父親と同じ黒い瞳が、じっとセイネリアを睨んでくる。

「……ねぇ、あんたの言う価値って何よ。あんたが連れていってもいいって思うだけの価値って私に何があればいいのよ」

 セイネリアは軽く溜め息をついた。
 本当はわざわざそんな事を説明するのは面倒だった。それでも、何時までもここで彼女のお守りをするのは時間の無駄すぎた。

「俺は、自分で何かを掴もうとする人間は好きだ。逆に自分では何もせず、何かが起こるとか、誰かが迎えに来てくれるなんて待ってるような奴が嫌いだ。諦める奴も、頼るだけの奴も嫌いだ。人任せのくせに、それが叶わないと勝手に絶望する奴など生きてる意味もない」

 言いながらセイネリアが歩き出せば、今度は彼女はちゃんと付いてくる。

「俺にとっての価値は強さだ。それは確かに能力としての強さもあるが、一番重要なのは自分という意志の強さだな。本当の意志の強さがあれば、能力としての強さは後からでも身に付ける事が出来る」

 彼女は黙っている。

「だから、お前が本気で冒険者になって、何かを掴もうとする強い意志があるなら連れていってもいい。……まぁ現状、多少の見込みはないこともない、ってところだな」

 ついてはきているものの遅れがちになる彼女に、もう一度振り返って、そうしてセイネリアは最後は彼女の顔を見て言ってやる。

「お前は、力があるくせに諦めて隠居してるアガネルが嫌なんだろ。それならお前はそんなアガネルをとやかく言える程、自分の力で諦めずに何かを目指す覚悟があるのか?」

 結局、彼女は、家につくまでそれに何か言葉を返してくることはなかった。



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