黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜





  【16】



「おいリレッタっ」

 叫んだところでもう遅い。それ以前にこの状況で、アガネルが彼女に逆らえる訳はなかった。
 暫くは呆然と消えた娘の方をじっと見ていたアガネルも、やがてがっくりと肩を落して、嫌々というのが見てすぐ分かる程だるそうな手つきで洗濯物を手に取った。

 ――本当に、ただの親父だな。

 彼の背中にジジィくさい哀愁まで見えてしまえば、セイネリアの方が溜め息をつきたくなる。
 彼は強い男――だとは思う。
 彼が冒険者をしていたという一番強かった時代は話で聞いた程度だが、それでも彼が本気になった時の気迫は特別なもののソレだった。この彼が本気でその『強さ』で生きていこうとしていたのなら、彼の昔話が誇張ではないというのも理解できる。
 だが、娘の前にいる彼は、牙が抜けてすっかり弱気になったかつての猛獣のようで、正直落胆を覚えずにはいられなかった。

「……おい、セイネリア」

 掛けられた声に、セイネリアはうっとおしげに視線だけを上げた。

「手伝わないぞ、俺は忙しい」

 アガネルは嫌そうに額に皺を浮かしながら、片目を閉じて歯茎を見せた。

「……わかってるよ。こっち終ったら俺もそっち手伝う」

 そうしてくれないと困る、と内心思いながら、セイネリアはいつも通り取ってきた獲物――化け鳥の処理を続けていた。
 とにかく、これだけの大物の鳥を取ってくると後の仕事が面倒極まりないのだ。
 大きすぎるからその場での処理は血抜きだけにしておいて、後は帰ってからまとめてやる事にしていた。今はひたすら羽根をむしる作業なのだが、それが面倒どころの話ではなく、きちんとやれば一人じゃ日暮れまでかかりそうな勢いだった。
 それが終わったとしても、このサイズを洗うのにはまた馬鹿みたいに時間が掛かる……表面上は黙々と作業をしているものの、セイネリアは正直既にかなりうんざりしていた。

「あぁ、そいつの羽根な、売れるから折ったりすんなよ」

 途中、思い出したようにアガネルが言ってきた言葉には、視線さえ向けずに返す。

「考えておく」

 ここまでの大きさになれば、綺麗にとか丁寧になんて言葉には唾を吐き掛けたくなって当然だ。
 だが、その後に続いた言葉は、セイネリアの手を止めさせた。

「お前さんの出発資金にゃ丁度いいだろ」

 セイネリアは顔を上げて、一応は師である男の顔を見る。
 相手はセイネリアの視線に気づいている筈だが、あえて目を合わせずに、籠から洗濯物を拾い上げていた。

「毎年、南部のファサン地方が雨期に入る前にな、あっちからヴェスキンて奴が大きな隊商組んで首都へ行くんだ」

 アガネルはセイネリアを見ないまま無表情ともいえる顔で、ただ洗濯物を干している。
 彼の真意を測って、セイネリアはじっと彼の顔を見つめる。

「今年もそろそろ来る筈だ、なんなら話つけてやってもいい」

 自分が首都行きの隊商を探している事がバレているのはわかっていたが、そこまで考えてくれる程親切な男ではなかった筈だが、とセイネリアは思う。ただ、裏があってそんな事を言い出すような男ではないことも知っているから、それが単純に彼の好意からの言葉だろうとも思う。

「有り難い、が、出ていく時まであんたに借りを作るのも考えどこだな」

 アガネルは鼻で笑った。

「ふん、貸し借りいうなら、お前への貸しは既に相当溜まってる、一つ二つ増えても増えなくても、どうせ返せるものじゃないだろ」
「さっきので少しは帳消しに出来たと思ったんだが」

 セイネリアも視線を手元に戻して、まだまだ膨大な量がある鳥の羽根をひたすらむしる作業に戻る。

「そうだな、大まけで半分は返した事にしといてやってもいい。……まぁいいんだよ、別に返して貰いたいもんでもないしな」

 互いに顔は見ないまま、声はやけに冗談じみていて、おそらく二人とも軽く笑みを浮かべていた。

「一応出世払いのつもりで考えていたんだけどな」
「は、期待しちゃいねーよ」

 セイネリアからすればアガネルには、自分から頼んで世話になったという経緯がある。だからその分はいつかは返す借りとして頭の中に入れておき、後はこれでも『恩知らず』にならないようには気をつかってやっているつもりだった。

「まぁ、期待してくれないならそれはそれで気楽だな。なにせ返す前に死ぬ可能性も高い」

 セイネリアが声を出して笑えば、先ほどまで一緒に笑っていた男から舌打ちが聞こえてくる。

「ガキの癖にお前は命ってモンがわかっちゃいねぇ。だからイカレてるんだ」

 だがセイネリアには、今になってそんな事を言ってくるそれこそが笑えた。

「今更だろ、あんたは分かってて俺を置いてくれた筈だ」

 見えはしないが、おそらく彼の今の顔は相当に険しく顰められている。
 それに思わず顔が笑ってしまうが、セイネリアはそれ以上、特に言葉で返事を返す事はしなかった。
 暫く無言で二人とも仕事を続けていたものの、洗濯干しが終ったアガネルは一つ大きく背伸びをして、セイネリアを手伝う為にしゃがみ込む。それから慣れた手つきで羽根をむしりだす直前、ぼそりと呟きのような小さな声が彼から聞こえた。

「……てめぇみたいなイカレたガキはさっさとどっかへ行っちまえ」

 セイネリアは、また声を出して笑った。


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