黒 の 主 〜始まりの街と森の章〜





  【15】



「馬鹿やろう、何勝手に馬鹿鳥と鬼ごっこ始めてやがる」

 化け鳥の後処理をしていると、やっと追いついたアガネルがセイネリアを見て開口一番にそう叫んだ。

「結果的には仕留めたんだ、騒がなくていいだろ」
「……黙れっ、運がよかっただけだ」

 アガネルの顔は厳しい。これは冗談で誤魔化す訳にはいかないかと、セイネリアは肩をすくめた。

「ちゃんと勝算はあったんだけどな。まぁ、確実、と言える程じゃないが」

 セイネリアが鳥を追いこんだここはパーネルムという木の多く生えた一角で、この木は切られるとその部分をくっつけようとゴムのように固まる液体が出て、更には周囲が切られた場所を押して包み込もうとする性質があった。へたに斧を入れれば斧が抜けなくなる樵泣かせの木として樵連中にはよく知られている木だった。

「ったく、いくらアレがまだガキだったとはいえ、一発でも食らえば致命傷だぞ」
「それくらい分かってる」

 今まで木に吊していた化け鳥を手で持ち上げてみて、十分持って帰れる重さだと思ったセイネリアはそれを肩に背負う。
 立って振り返れば、アガネルがじっと最初にこちらに声を掛けてきた位置のままセイネリアを睨んでいた。

「……俺を助ける気だったのか」
「あんたには借りが大量にあるし、見殺しは後味が悪い」
「お前に助けられるとはな」
「あんたが気にする事は何もない、勝算がなかったら見殺しにしてたしな」

 セイネリアは歩き出す。前を歩くのが今のセイネリアの役目だからだ。
 だから必然的に後ろを行くアガネルには、セイネリアの背中にぶら下げられた化け鳥の憐れな姿が目に入る。

「なぁ坊主……そいつはきっと、独り立ちしたばっかでまだ狩りに慣れなくて、夢中になって獲物追ってこんなとこまで来ちまってヘマしたんだ。無事巣立ったとしても、誰からも恐れられる空の王者にまで成長出来る確立は低いもんだぜ」

 その声はこの男にしては優しすぎて、セイネリアは妙な違和感を感じていた。この四年間、アガネルは森を行く時は強くて厳しい男だった。少なくとも、優しい言葉をくれた覚えはない。

「……それは、俺への警告か?」

 セイネリアは振り向かずに前を歩く。
 同じ歩幅、同じペースで、アガネルはセイネリアの踏みしめた跡を歩く。

「さぁな。だが、その鳥の今の姿が、明日のお前の姿かもしれんぞ」

 まるで老人の自嘲のようなその言葉の響きに、セイネリアはこの男からはもう離れるべきだとの思いを強くした。

 所詮、彼も結局は自分を諦めた負け犬だと。セイネリアの中では、もう、アガネルは強い男とは思えなくなってしまっていた。

 セイネリアは笑った。

「それこそ今更だ。俺には、強くなるか死ぬかしかない。……死んだら後を考える必要もない、迷いようもなく楽な話だな」






 既に陽は高くまで昇り、午前中と言える時間は終わりを告げようとしていた。
 少し早いものの巡回は一旦やめて、今日はもう午前中の仕事は上がりにしようとアガネルは言った。
 理由はセイネリアが背負っている化け鳥のせいだろう。まぁ、荷物が邪魔な事に変わりはないし、それに文句をいう気はセイネリアにはない。なによりさっさと処理の方もしておきたいというのもある。
 だから大人しく道を変えて家に着けば、間が悪い事に外には洗濯を干している最中のリレッタがいた。

「何あんた、その格好……」

 彼女はセイネリアの姿を見た途端、顔を引き攣らせて作業の手を止める。
 一応言っておけば、化け鳥の血だらけだった腕は途中の小川でざっと洗ってはきている。顔も同様。服の方も胸当てや毛皮は拭えばよかったし、皮部分も拭えばそこまで気にならない。だからはっきりと血の跡が見えるのは布部分、しかも服は今も黒い服ばかりを着ているから、別で腰に巻いている布やら紐代わりに縛っている布くらいしか血の跡があからさまにわかる部分はない。この程度でそこまで反応される方が、セイネリアには理解出来なかった。
 セイネリアは近づいてこようとする彼女を追い払うように、化け鳥の死骸を自分の前面の地面に下ろした。

「別に、大物を仕留めたからその分返り血がついただけだ」
「……そう」

 彼女の声は、いつも通りの喧嘩口調にしようとして失敗した響きがある。……正直面倒臭いとセイネリアは思う。
 さっさと自分の作業に戻れと思うのだが、リレッタはその場で立ち止まってじっとこちらを見たままだった。

「ったく、こいつはなぁ、まぁった無茶して一人つっぱしりやがってよ」

 立ち尽くす娘に近づいて、アガネルがその背中を叩く。
 その場で困惑の表情を浮かべていた彼女は、その途端、いつも通りの生意気な小娘の顔に戻った。

「まったく、あんたが一人でどーなろうと勝手だけど、父さんにまで怪我させたら傷口に塩塗り込んであげるからねっ。……父さんも父さんよ、セイネリアが無茶するのなんて分かってた事でしょ、さっさと押さえつけとけば良かったじゃない」

 アガネルもまた、娘の前では情けないただの親父になる。

「いやそう言ってもな、ンな暇もなかったんだぜ、行っちまった時にゃぁ俺の足じゃ追いつけなくてなぁ」
「何よ、いつもガキだガキだって馬鹿にしてるくせに、もう負けちゃってるの?」
「そらなぁ、若者の体力と俺より小柄な体に、この歳のおっさんがすばしこさで勝つのは無理ってもんだ」

 すっかり娘の気迫に圧された父親は、その大きな図体を縮こませて申し訳なさそうに自分の頭を摩った。擦った
 リレッタは情けない父親のその姿に益々機嫌を悪くする。

「言い訳なんて、不動のアガネルの名が泣くわよ」

 その名を聞いた、アガネルの顔が引き攣る。
 アガネルの昔の冒険者仲間にセイネリアも聞いた事があるが、どんな敵が相手でもその場を動かず蹴散らした、という姿からつけられた彼のかつての二つ名らしい。

「リレッタ、いい加減その恥ずかしいあだ名は忘れてくれ。それに不動ってとこからして、俺に素早さは求めちゃなんねーって分かんだろ」

 ただ、この名を出されるとアガネルは本気で嫌がる為、娘のリレッタにとっては父親へ嫌味を言うときの常套手段になっていた。

「黙りなさい、言い訳は男らしくない、じゃなかったの?」
「はいはい、申し訳ありませんでした、リレッタさん」

 実際は未だにアガネルの強さはかなりのものだとセイネリアは思うが、娘相手だとただの図体の大きいだけのでくの坊にしか見えない。

「よろしい、はじめからそう言えばいいのよ」

 勝ち誇った笑みを浮かべるリレッタに対して、アガネルは情けない顔で溜め息をつくしかない。

「……反省してます」

 それに満面の笑みを返したリレッタは、地面に置いてあった洗濯の入った篭を持ち上げると、アガネルの手に押し付けるように渡した。

「よし、では反省の印としてこの続きは父さんよろしくね」
「……おい、ちょっと待てリレッタ」

 一瞬、何を言われたのか分からないという顔をしていたアガネルだったが、娘がさっさと家の中に入っていこうとするのを見て、焦って彼女を引きとめようとする。

「嫌よ。父さん達が早く帰ってきたから、私もすぐ食事作らないとならないじゃない。どーせ早く帰ってきた分、午後の仕事も早く始める気なんでしょ?」
「う……まぁ、なぁ」
「じゃ、お願いね」

 満面の笑みを浮かべたまま、彼女は家の中へ姿を消した。


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