黒 の 主 〜傭兵団の章三〜





  【18】



 その夜は、スオートとアンライヤの婚約式が行われた。
 出席者は主に親類関係のある貴族や地元の大商人などで、身内でのお披露目程度だろうというセイネリアの予想通りではあった。場所がグローディ領であるというのもあってスザーナ側の出席者はスザーナ卿夫妻とそのお付き連中だけであったが、おもしろい事にスザーナ卿はディエナの近くにべったりでずっと楽しそうに話をしていた。後で聞いた話だが、スザーナに使節として赴いた時に助言をしたことから以後スザーナ卿は何かあるとディエナに相談の手紙をよこすようになったらしい。それで度々助言をした事で領地同士の友好関係を築き上げてきたというのも、今回の婚約が成立した理由の一つだろう。
 ただ基本身内だけの中、スザーナ卿の他にグローディ外から来た客がもう一組だけいた。ザウラ領主であるスローデンだ。

「久しぶりだな」

 婚約の発表と誓いの儀、そして乾杯が終われば、あとは各自自由に飲食とおしゃべりを楽しむただのパーティになる。広間の中ではあちこちで会話の輪が出きていて、特にグローディ卿やその家族の回りにはひときわ多くの人が集まって笑い声が絶えない様子だった。
 セイネリアはその集まりの中にいたくはなかったから、あらかじめグローディ卿に承諾を得て、部屋の隅でカリンと共に見ていたのだが……そこへ、スローデンがわざわざやってきたのだ。

「これはこれは、お久しぶりです、ザウラ卿」

 セイネリアがそう言ってわざと丁寧に礼をしてみせると、スローデンは顔を引きつらせて小声で言った。

「貴様の場合……そういう態度を取られると嫌がらせにしか思えない。これくらいの声なら他には聞こえない筈だ、普通に話していいぞ」

 忌々し気ではあるがどうにか努めて冷静を装おうとするその姿からして、少なくともこちらに恨み言を言いにきたのではないらしいとわかる。

「それはありがたい。……あんたがここにいるということは、ザウラは今はグローディとの友好関係を取り戻していると思っていいんだろうな」
「あぁ、あの後はグローディにもナスロウにもかなり助けて貰ったからな、恩もある。だから今はザウラだけではなく、両領主と協力してこの周辺一帯から改革していくように考えている」

 ザウラはあの後、蛮族達やグローディに多額の金を払わなければならなくなった。更に蛮族の侵攻や、ディアナ救出の館での騒ぎのために多くの兵を失っていて防衛面では相当に厳しい状況になっていた筈だった。であれば蛮族達はナスロウ領で抑えてもらえるという状況になって相当にありがたかったろうと思われる。それにスザーナ卿もディアナを信頼して助言を求めてくるような現状では、親密なナスロウ、グローディ、スザーナの3領地に挟まれたザウラには彼らと友好的に付き合う以外の選択肢は残されていないだろう。
 スローデンは頭のいい男だから、そう考えて前のような他領を取り込んでいくという野望は捨てたのだと思われた。

「それが賢明だな。今後は自領のためだけを考えず、周辺領地全部をひっくるめてあんたがいい方向へ行くと思った提案をしていけばいい。そうすれば少なくともナスロウ夫妻は話だけは聞いてくれる筈だ」
「そうだな……」

 言いながらスローデンは客たちと歓談中のディエナの顔を見る。

「逃した魚は大きかった、とでも思っているのか?」

 そう聞いてみれば、スローデンは一度大きく目を見開いた後に、下を向いて頭を押さえてから、自嘲の笑みとともに返してくる。

「そうだな……彼女は素晴らしい女性だったと今は思う。あの時、計画を変更して普通に彼女を妻として迎え、乗っ取りではなくあくまでグローディと協力していくという方に舵を切っていれば……と、そう思ってしまっただけだ。彼女はきっと妻として、いい相談役になってくれたと思う」
「まぁな、現ナスロウ卿は妻がいなければ、領主としての能力が半減どころでは無くなるほど彼女は優秀だ」

 それにはははっと、声を出してスローデンは笑う。
 自分に対して恨みを言ってきても不思議はない筈だが、随分ふっきれたように接してくる彼には少し疑問は残ったが。ただその理由は、会場から早めに退出して廊下に出た後にわかる事になる。

 招待客は皆それなりに身分があるものばかりであるから、部屋の中には傍仕えの者と1、2人の護衛だけを連れて、それ以外の部下は部屋の外で待機している。だから部屋の外に出て廊下を歩けば彼らの前を通り過ぎていく事になるのだが、その連中の並びが途絶えたあたりで、セイネリアは後ろから声を掛けられた。

「セイネリア・クロッセス様、少々よろしいでしょうか?」

 その声に聞き覚えがあったから、セイネリアは足を止めた。

「生きていたのか」
「……あぁ、この通りだが」

 見ただけでわかる相当の腕である戦士の体つき、だがその男には右腕が無かった。かつてスローデンの片腕だった男の片腕だけしかない姿でおおよその事情は想像出来る。

「つまり、命までは取らず右腕を取られただけで済んだのか」
「あぁ、ヨヨ・ミが頼み込んでくれて、戦士としての俺の命を取る事で許された」
「それでまたスローデンの元に帰ってきたのか」
「スローデン様は……こんな私でも生きていたことを泣いて喜んでくださって……傍にいてほしいとおっしゃってくれたのだ」

 ジェレ・サグ――かつてスローデンの一番信頼する部下であった、セセローダ族の戦士。部族の中で一番強くなってもそれで満足できずにクリュースへ来てスローデンに仕え、自分の部族を裏切った男。
 ザウラとグローディ間の紛争の時、全ての罪を背負って裁かれるためにこの男は自分の故郷に戻った。同族を騙して殺した彼にはおそらく死刑しかないだろうと思ったが……ヨヨ・ミは相当にこの男を戦士として認めていたらしいとセイネリアは思う。





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