黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【70】



 セイネリアがザバネット卿の屋敷から傭兵団に帰ると、もう夕方になっていた。
 それでもまだ外は十分明るいから、訓練場にはそこそこ人影があって各自訓練やら試合などをやっていた。この傭兵団に入る人間は向上心が高い者が多いから、仕事がない時でも大半の者はこうして自主訓練をしている。一人で黙々と自分で決めたメニューをこなしている者もいれば、腕の良さそうな者に片っ端から声を掛けて試合をしている者もいる。ここにいる時点である程度以上の実力は保障されているし、さほど強くない者は特殊技能持ちである場合が多いから、団員達が他の団員を見下したり侮辱したりする事はまずない。誰とも付き合わず一人でいる者を悪く言う者もいないし、かと言って大勢で騒がしくやっている方が何かを言われる事もない。よくも悪くも自分は自分というスタンスでやっている者ばかりだ。

 普通ならこれだけ自分なりのやり方が確立された連中ばかりがいればそれなりに対立もあるモノだが、この団ではまずそんな事は起こらない。理由は単純で明白だ。

「あ、マスター」

 一人が歩いているセイネリアを見つければ、皆すぐに背筋を伸ばしてこちらに礼を取る。顔には緊張がありありと見えて、セイネリアは僅かに口元をゆがませた。

「別に続けてていいぞ。俺への挨拶より訓練の方が有益だ」

 それには一応、はい、という返事が返ってくるが、彼等がセイネリアを見て無視して訓練を続けらない事は分かっている。

「それとも、わざわざ俺を呼び止めたからには誰か相手をしてほしいのか?」

 冗談めかしてそう聞いてみれば、彼等は皆顔を強張らせて首を振った。

「い、いえ、そうではありませんっ。わざわざ足をお止めさせてすみませんでしたっ」

 そういって焦って頭を下げたのは、確かグデリック・デッカーとかいう騎士の称号持ちの男だ。10近く年上で団に入った当初はそれもあってかセイネリアの事を侮っていたところもあった。だから入ってすぐに手合わせをしたいと言ってきたのだが……以後は当然、他のその手の者と同じように二度と剣の相手をして欲しいとは言わなくなった。
 その場にいた他の面子の中にもやはりセイネリアと剣を合わせた事がある者がいて、そういう者程深く頭を下げてこちらに絶対服従とでもいうような顔をしている。

「まぁ、冗談だ。だが相手をして欲しくなったらいつでも言ってきていいぞ」

 それだけを言うとセイネリアは彼等に手を上げて歩きだした。団員達はセイネリアが見えなくなるまで頭を下げたままでいた。

 庭を過ぎて建物の中に入れば、待っていたのか入口にはクリムゾンがいてセイネリアに向けて礼を取る。それには手を上げるだけで応えてやってそのまま中を歩いていけば、いつも通りクリムゾンはこちらの後方――カリンより3歩程後ろについて歩いてくる。
 廊下を歩いていけば、気づいた団員達は次々に急いで廊下の脇に避けて背筋を伸ばす。セイネリアは彼等にも手を軽く上げてやって声はかけずに通り過ぎる。ヘタに声を掛けるとあまりセイネリアと面識がない者など緊張しすぎて面倒な事になるので、声を掛けるのは自分から声を掛けてくるくらいの度胸があるものだけにしていた。
 この団においてセイネリアの存在は絶対で、彼等がセイネリアに逆らう事はない。
 自分の配下としては文句のつけようはないが、それでもセイネリアはその事にちりちりとした苛立ちを感じているのも分かっていた。

「お……」

 執務室のある部屋の近くまでいけば丁度その方向からエルが歩いてきて、彼はこちらに気づいた途端手を上げようととしたがやめて、その場で背筋を伸ばして礼を取った。

「おかえりなさいませ、かな。マスター」

 言いながら顔を上げるエルにセイネリアは、あぁ、とだけ返す。

「丁度今仕事の依頼書を机に置いてきたとこだ。細かい仕事はいつも通りこっちで勝手に割り当てていいんだろ?」
「あぁ、それでいい」
「んじゃ今日の会議、俺はパスでいいか? 例の件は全部片付いたんだろ? 特に大きい問題がなきゃ話し合いは必要じゃねぇと思ったんだけどよ」
「今日の報告は聞かないのか?」
「必要ねぇ、どうせお前が思った通りに上手く行ったんだろ?」
「まぁな」
「なら別にいいよ、どうせそっちは俺の仕事には関係ねーし」
「そうか。なら好きにしていいぞ」
「おぅ、ンじゃな。……っと、それではマスター、行ってまいります」

 途中でクリムゾンからの険悪な視線を感じたらしく、エルはそこで姿勢を正して礼をする。
 それからくるりと踵を返して去ろうとしたから、ふと聞いてみた。

「何処か行くのか?」

 手を上げて歩いて行こうとしたエルが、立ち止まって振り返る。

「あぁ、リオと仲良かった連中と飲み行ってくンだよ。落ち着いたらいろいろ話聞いてやるって約束してたからさ」
「そうか」

 団員達にとってセイネリアは恐怖と服従の対象で、心情的なまとめ役はエルである。だからエルは団員達と個人的な付き合いが多く、こういう事も珍しくはない。
 エルはそれでまた前を向くと手を振って離れて行く。セイネリアもそれですぐに前を向いて執務室へ向かった。




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