黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【69】



 その日のセイネリアは、もしかしたら機嫌が悪かったのかもしれない。確実にそうだという根拠はないが、カリンはそう思った。いや、あえていうならボーセリングの屋敷を出てから機嫌が悪くなった気もした。どちらにしろ、最近の主は前以上に感情を表に出さなくなっていたから自信はない。もしかしたらザバネッド卿との交渉用に機嫌が悪いように見せかけているのかとも思ったが、そうでないのはザバネッド家から出ても雰囲気がそのままな事で分かった。

「何か、気に障る事があったのですか?」

 だから、あとは傭兵団に帰るだけとなった馬車の中でカリンは思い切って聞いてみた。

「いや。……怒っているようにでも見えたか?」

 その口調が自嘲じみていたから、そこでカリンは主が現在、何か苛立っているという事を確信した。

「いつも通りのようには見えますが。……少しおひとりで考えている事が多いなと」
「そうか」

 それもやはり自嘲のような笑みと共に。だがそれ以上セイネリアは肯定も否定もしなかった。そのままそこで会話が終わりそうだったので、カリンは急いで別の話を出す。

「そういえばボス、ナスロウ卿の残した調査資料をあのような使い方をするなら、情報屋を継いだあとならいつでも出来たのではないですか?」

 セイネリアは気に入らない人間にいつまでも頭を下げていられるような人間ではない。ボーセリング卿の名を保身に使う必要がなくなったなら、すぐにでも行動を起こしたほうが彼らしいとカリンは思った。

「そうだな、騎士団に行く事になって後回しにしたのはあるが……」

 らしくなく、そこまで言ってセイネリアは黙った。カリンはそれに恐る恐る聞いてみる。

「そのあとは傭兵団を作る事になったから、でしょうか?」

 騎士団に入って暫く自由に動けなくなる段階で、セイネリアがボーセリング卿との件を先送りしたのは理解できる。となれば帰って来てからすぐ動かなかったのは、傭兵団が安定するまで待っていたか、それとも……。

「もしくは前ボーセリング卿が裏切るのを待っていた、とか」

 すると何故かセイネリアはククっと喉を震わせて笑った。

「いや……あのクソジジイの事なぞどうでもよくなっていただけだ」

 その言葉がそのままの意味とは思えなくて、カリンは目を丸くして黙る。セイネリアは尚も笑っていたが、唐突に笑うのをやめるとカリンの方に顔を向けた。

「カリン、お前の言う通り、俺は今気分が悪い。だが新しいボーセリング卿やザバネッド卿とのやりとりは予定通りで何も問題はなかった、それが原因ではない」

 そう、カリンがみたところでは全て予定通りだった。だからカリンは主が機嫌が悪いかどうか、何故悪いのかが分からなかった。黙っていれば、彼は笑っているのにぞっとするほど冷たい声で言葉をつづけた。

「うちの団に手を出した連中も全て潰した、それを見せつけて他の連中へのけん制も出来た。前ボーセリング卿のクソジジイの件も片付いた、新しく利用出来る繋がりも作った、全て上手くいった……だが俺は何一つ面白いと思えない、ただムカつくだけだ」
「ボス……」

 それがセイネリアの本心からの言葉だというのは分かる。ただカリンには理解が出来ない。何故そんなにセイネリアが苛立っているのかが分からない。それでも最近、まったく本音を吐かなくなったセイネリアの久しぶりの本音には何かを応えなくてはならないと思う。
 だが……そこで急に彼の顔から表情が消えて、いつも通りの冷静な声が戻ってくる。

「俺がおかしいと思ったら、お前は逃げていいぞ」

 そうして彼は目を閉じた。返事はいらないという事だろう。けれどもカリンは一つだけ言っておかねばならなかった。

「ボスがどうであろうと、私は最後までお供します」

 セイネリアはそれに言葉を返さなかった。ただ口元を皮肉気に歪めただけだった。




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