黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【68】



「アーディ、お客様は帰ったの?」

 ドレス選びの部屋に入ると、カナンは驚いてそう聞いてきた。アディアイネは彼女に恭しくお辞儀をしてみせる

「はい、終わりました。カナンにもよろしくと言っていましたよ」
「あの方達もご挨拶のパーティーに来るの?」
「いえ、そういうのはおそらくお嫌いだと思いますし、招待状を出しても来てはくださらないかと」
「そうなの、残念」

 初めて会った他人に彼女がそんな事をいうのは少なからずアディアイネを驚かせた。だからすぐ聞き返す。

「カナンは来てほしいのですか?」

 彼等に対して好感を持つよう印象を彼女が受けたのかと思えば、まったく裏事情など知らない彼女は笑って答える。

「だって、アーディあの方の事好きなのでしょう? アーディがあんなに嬉しそうに話す人なんて、私の他に見たことないもの」

 そんなに顔に出ていたのだろうか――それはアディアイネにとっては彼女の反応以上に驚く事で、けれどすぐその理由に気づいて自分に呆れる。
 あの男の存在は自分にとってはまさに救世主で、何があっても彼がいると思えたから今までずっと考えるだけで諦めていた計画を実行に移せた。自分を殺せる程強くて、精神的にも強く安定した人物。更に価値観が近いからこそ、彼が自分を殺すと決めたのならそれに納得出来る。
 彼の存在がどれだけ自分を救ってくれたのか――そう考えればこの自分でさえ、本心が顔に出てしまっても仕方ない、とアディアイネは思う。

 誰にも頼らず、自力で強い自分を保てる男には最大級の敬意を払っても足りない。
 ただ一つだけ彼に対して気になる事があるとすれば……彼を殺せる者がいない事に、あの男の強靭な精神でさえいつかは蝕まれていくのではないかと、それが少し不安要素として残るだけだ。

「……そうですね、カナン。好きというか、彼にはとても感謝しているんです」

 とはいえ自分がそんな事を気にする意味はないとアディアイネは思う。自分があの男を倒せる程強くない以上、あの男の問題はあの男が解決するしかない。だから今の自分がするべき事は、せいぜいあの男に恩返しの先払いでもして彼に見捨てられないようにするくらいだろう。







 ボーセリング家をあとにして、セイネリアはそのままザバネッド家の屋敷へ向かった。予め約束は取り付けてあったし、今日は基本的には契約書にサインをするだけが目的だ。着けばすんなりザバネッド卿のところへ通されて、書類の確認をして貰ってから本人の目の前でそれを焼却して見せた。
 勿論、焼いたあとに書類が全て灰となった事まで確認する。

『おめでとう、これでそちらとの契約は成立だ』

 何がめでたいのだか――ザバネット卿の安っぽいセリフに呆れながらも、笑みを顔に張り付かせてセイネリアは握手を交わした。あとは互いに契約書にサインをして終わりとなる。

 ちなみに、ザバネッド卿との契約だが契約書に書かれている事は実はたいした内容ではない。警備隊絡みで人手が必要になった場合、優先して黒の剣傭兵団に仕事を頼むというだけのものだ。この契約書は単に、ザバネッド卿と黒の傭兵団には繋がりがあるという事を示すためのものであるから内容は重要ではない。
 キオットの件や、警備隊周りの広報内容を先にこちらに流してくれる……というのは契約外での口約束であり、強制はしないが互いに約束を守り続けている間は良好な関係を保てる、という訳である。

 ナスロウ卿の残した書類をボーセリング卿に渡した時は取り返して処分する事しか考えていなかったが、まさか処分する事自体を利用する事態になるとはセイネリアも思っていなかった。ここまで利用する事になると、死んだジジイに返せない恩を押し付けられたみたいであまりいい気分ではないというのもある。

 ただそもそも、ナスロウ卿は貴族達の悪事の証拠を集めて回ってそれをどうする気だったのか。

 隠居状態だったナスロウ卿が、集めた情報を使って貴族達を陥れようとしていたとは思えない。なにせ自分だけの力では騎士団を変えられないと失望してあのジジイは名声を捨てて引きこもったのだ。それなのに手に入れただけで危険な情報を集めていたのは何のためか。

 『誰か』が使ってくれる事を考えてか――この結果が、あのジジイが満足する使い方だったとは思えないが、少なくとも間違った使い方ではないだろう。

 おそらく本来なら、騎士団なり、腐った貴族共の体制を変えるために使って欲しかったのだろうと思うが、あいにくセイネリアにはそんなものを背負ってやる気はなかった。だから最後まで――師であるあの老騎士に告げる言葉は、俺に期待をするな、とそれしかなかった。




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