黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【67】



「我々ボーセリングの血を持つ人間は当主に逆らえないように呪いが掛けられています。能力が高くない者がわざわざ当主に選ばれていたのはそれも理由ではあるんですよ」
「化け物達が誰も逆らえない者自身も化け物なら、何かあった時誰も始末できなくなるからか」
「はい、ですから、『兄』をその地位から引きずり下ろしたいと思っていても、ずっと我慢するしかなかったのです。私を止められる人間がいない段階で当主になるのは危険すぎましたから」

 だからセイネリアに対して最初からあんなに協力的で、こちらの要望を彼の権限が及ぶ限りは簡単に聞いてくれた。その理由を知れば、彼がこちらが怒るような不義理を働く可能性はないともわかる。何があっても裏切らない、という言葉は確かに信用出来るのだろう。

 だが何故か――真相が明らかになればなるほど、この男が嬉しそうに自分を見れば見るほど、自分の中に苛立ちが溜まっていく――セイネリアはそれを自覚していた。
 この男の本質からすればおおよそ似合わない信頼した瞳を、自分に向けてくる事にどうしてもムカついた。

「ボス?」

 そこで心配そうに小さく声をかけてきたカリンをちらと見て、セイネリアは自嘲の笑みを浮かべる。
 セイネリアは今のこの苛立ちが相手にとって理不尽なものであることを分かっていたし、ここで彼との関係を壊すつもりもなかった。だから顔に笑みを作って頭を切り替えた。

「何でもない。少し呆れただけだ。ただその様子だと、あんたが『兄』を追い落としたかった理由も、彼女が関係しているんじゃないか?」

 すると明らかにアディアイネは不快げに眉を寄せて、瞳に昏い怒りを宿して言ってくる。

「その通りです。あいつは彼女に手を出そうとしたんです。未遂で済みましたが、その時の言い訳が『お前もあの手の無垢そうな娘を壊すのが楽しいのだろ』でしたからね」

 大方そうだろうという中で一番馬鹿な理由だったのもあって、セイネリアは言い捨てる。

「あのゲス親父ならいいそうだな」

 あの狸親父の性癖が歪んでいるのは分かっているから納得は出来る。そしてそれが原因なら、今回の事はまさにあの親父の自業自得としかいいようがない。
 セイネリアが軽く喉で笑えば、アディアイネも笑う。
 ただ彼はそこから思い出したように、自分の隣の椅子においてあった書類の束を取るとテーブルに置いた。

「あぁ、それで、これが約束のものです」

 そうして渡された紙の束をセイネリアは受け取る。それは前ボーセリング卿が持っていたナスロウ卿の残した調査書類の原本、つまりあの親父が失脚する事となった元凶だ。

「中身は見たのか?」

 一応聞けば、アディアイネは笑う。

「本物かどうかの確認程度には。ただ先方には見ていないと言っておいてください。何があってもその内容に触れないと誓いますから」
「……分かった、そう言っておく。どちらにしろ、原本が処分されれば向うとしては深く追求してこないだろうがな」

 先方、というのはザバネッド卿の事である。
 この後ザバネッド卿と会ってこの原本を見せた後、その目の前でこれを焼いて処分するまでが向うのと約束だった。

「写しも残していません、ウチの子でそれを見た者もいません。……ですがいいのですか? 今の貴方ならそれをうまく使う事も可能でしょうに」
「必要な内容だけは写しがある。本気で脅迫材料として使える程の過度な情報は俺には必要ない」

 それに、これを処分すればやっと、あのナスロウのジジイの残したモノと全て手が切れる。だからボーセリング卿にこれを渡した当初から、最終的には取り返してこの手で処分するつもりでいた。

「それならいいです。では、今後もよろしくお願いいたします」

 そう言ってアディアイネはわざと臣下の礼を取って見せる。彼にとってセイネリアはそうしても構わない程の存在だとそれを示すためだろう。
 セイネリアにとってアディアイネは、少なくともあの狸親父よりも気持ちのいい相手であるし、仕事的にも組みやすく共感出来る考え方の人間だと思う。普通ならセイネリアとしては好ましいと言える部類の人間だ。

 ただ理性でそう分かっていても、妙に苛立ちを感じるのは……彼が時折、まるで崇拝するような目で自分を見るからだろう。




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