黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【63】



 ボーセリングの『犬』達は、セイネリアを見て、その手にある黒い剣を見て、そうして互いに顔を見合わせる。ボーセリング卿は知らない事だが、アディアイネはよく『犬』達にそう声をかけていたそうだ。だから彼等は今の言葉で次のボーセリング卿が誰かをすぐ理解する。そしてそれがアディアイネであるなら、彼等が反発する理由はない。
 そこで動かなくなる『犬』達に向かって、哀れな狸親父の声が飛んだ。

「おい、何をしている、こいつらを始末しろっ、命令だっ」

 セイネリアは見せつけるように、『犬』達に向かって黒い剣を構えて見せた。

「あのジジイの命令を聞きたいのなら別にいいぞ、いくらでも相手をしてやる。何人でも構わん、なんなら屋敷ごと全部消し炭にしてやろうか」

 彼等の目が黒の剣の黒い刀身に集まる。見ただけで固まる者達を見渡して、セイネリアは無造作に剣を目の高さに持ち上げるとその刀身を舐めて見せた。

「俺としては、新しい主の言う通りにするよう勧めておくがな」

 別にセイネリアとしてはここの連中が全員向かってきても構わなかった。ただアディアイネのために出来るだけは殺さないようにしようとしているだけだ。黒の剣を持ってきたのもそのためで、見ただけで彼等にこちらと戦う意思をなくさせる脅し用だ。

「おいっ、お前達っ」

 ボーセリング卿は叫ぶ。だが周囲の『犬』達は動かない、主である筈の男を見ようともしない。それを見てセイネリアは剣を鞘に戻した。それからすぐ、後ろに控えていたクリムゾンに渡す。彼はこちらに渡した時と同じく、恭しくそれを受け取った。
 それからセイネリアはボーセリング卿に向かって歩いていく。ボーセリング卿は急いで後ろに下がったが、突っ立っている『犬』にぶつかってはよろけ、椅子の足に躓いては転び、それでも必死に逃げたが壁に突き当たった。そこからまた壁を伝って横へ逃げようとしたが、セイネリアが投げたナイフが目の前に刺さって、腰が抜けたのかその場にへたり込んだ。
 セイネリアはゆっくり狸親父に近づいていくと、その腕を掴んだ。

「ひ……」

 反射的に腕を払おうとはしたが、ただのジジイの力では僅かでも動く筈はない。
 セイネリアは琥珀の瞳を細めて相手を見下ろしてやると、もう何も残っていないクソジジイに告げてやった。

「あんたは自分に力があると錯覚していた。だがあんたが持っていると思っていた力はボーセリングの当主としての力であって、あんた自身の力じゃない。当主の肩書がないあんたには何もない。だからやっかいな秘密を知るあんたを消したいなら、その肩書をなくしてしまえばいいとちょっと頭の回る奴ならすぐ思いつく」

 勿論、ザバネッド卿がそれを思いついても、次にボーセリング家を継ぐ者がちゃんと仕事を引き継げなかったり、問題がある人物だというのなら躊躇する。そしていざ消したほうがいいと決断したとしても、ボーセリングの『犬』達を使って抵抗されたり、自分の身の危険もあると考えれば簡単に実行には移せない。
 だからセイネリアがその問題を取り払ってやった。
 既にアディアイネはザバネッド卿と一度会わせてあって、ボーセリング家とザバネッド家の関係はこのままでという約束を取り交わしている。ザバネッド卿が現在のボーセリング卿であるこのジジイを消す事に躊躇する理由はその時点でなにもなくなった。

「き……貴様だって、その情報を知っているとバレた段階でザバネッド卿に目をつけられた筈だ、無事で済むと思うなよっ」

 セイネリアはそれにも冷静に答えてやった。

「残念だが今の俺は俺個人の力だけではなく、貴族共でもへたに手を出したらマズイと思われるくらいの組織的な力も持ってる。前の時とは違ってちゃんと脅迫材料を脅迫に使えるくらいの力はあるんだ。……とはいっても、ナスロウのジジイが残したアレを使う気はないからそう言ってあるし、ザバネッド卿とはこれを機に協力関係を取り付けてある」

 そこで狸親父は、最後の気力をふり絞ってセイネリアを睨んできた。

「つまり貴様は……私を裏切って、ザバネッド卿に乗り換えたという訳か」

 セイネリアは笑う。ははっと声を上げて。

「何を言ってる、先に裏切ったのはあんただろ。それにあんたに渡す時、あれを持つ事がどれだけ危険かもちゃんと言っておいたじゃないか」
「お前はっ、だが私の立場なら使えると言ったっ」
「それはあんたが調子にのってあれを快くもらってくれるよう持ち上げてやっただけだ、それに実際、あれでいい目も見れたんだろ?」

 そこから暫くして、急に気づいたようにボーセリング卿の瞳が見開かれる。

「まさか……最初からあれを私に渡す事自体が罠だったのか?」
「あんたはまさか、俺がずっとあんたに頭を下げ続けるつもりだとでも思っていたのか?」

 契約した時点でのセイネリアは、そこそこ強いと認められているならず者、その程度の存在だった。だからあの情報をボーセリング卿に渡す事で自分の身を守った。確かにセイネリアがずっとボーセリング卿の下にいるなら、狸親父があの書類を持っていても問題はなかった。
 だがセイネリアは、最初から自分がボーセリング卿を脅せるくらいの力をつけたら上下関係をひっくり返すつもりであれを渡した。これもまた、自分自身に対する賭けのようなものだ。

 呆然としている狸親父に、セイネリアはまた笑って見せる。

「格上相手の脅し材料になるような情報は、使うのは論外として、それを持っていると他人に知られてる時点で終わりなんだ。なのにあんたは情報の有用性だけをみて喜んでアレを貰ってくれた。ま、俺も一応、あんたが裏切らなければあんたに対して優位な立場をとるための材料にするだけだったさ。裏切ったから遠慮なく切り捨てさせてもらっただけだ」

 そこでボーセリング卿はガクリと項垂れた。
 そうしてそのままセイネリアはそのクソ親父を馬車に連れて行き、警備隊本部にいるザバネッド卿のもとに向かった。




---------------------------------------------



Back   Next


Menu   Top