黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【62】



 やっと冷静さの仮面が剥がれ落ちてきた狸親父に、セイネリアは僅かに口元だけを歪めてみせた。

「そうだな、そんなところだ。というか、あの書類の内容を手紙と一緒にキオットに渡して、ザバネッド卿に見てもらった。それで、書類の原本はあんたが持ってると教えたんだ」

 あの書類にはザバネッド卿本人のものもだが親類縁者の不正取引の情報が結構な数あった。警備隊なんてところで権限を持っていれば悪さをしやすいというのもあるだろうが、一応国としては首都の治安を守る機関での事であるからそんなスキャンダルを外に漏らす訳にはいかない。なら書類ごと、知っている人間を始末すべきだと考える。貴族様の思考とはそういうものだ。

「ザバネッド卿に渡したのは、誰と誰が繋がりがあるとかどんな契約をしたかという内容だけのメモであるから証拠としては使えない。だが……あんたに渡した原本には、証拠に出来そうな詳しい調査結果が入ってた筈だな」

 セイネリアはボーセリング卿に、ナスロウ卿が調べあげた書類の原本を渡した。内容は覚えて書き出してはおいたが、証拠になるような詳細事項までは正確に覚えていなかったし必要もなかったから書き残してはいなかった。なにせセイネリアとしてはあの調査内容を脅しや告発に使う気などまったくなく、貴族間で立ち回る時に知識としてほしかっただけだったのだから。

「それで……君は、まさかそれだけでザバネッド卿が私をすぐにどうにかすると思うのかね?」

 流石に顔色が悪くなっているが、狸親父もまだそれで自分が詰みだと思っていない。
 なにせボーセリング卿といえば配下に優秀な暗殺者団を持っている――というのは貴族間で知らない者はいない存在だ。何かしらの罪をでっち上げて捕まえるにしても、全力で抵抗されたら捕まえる側には相当の被害が出るし、命令した者やそれに賛同した者が命を狙われる可能性もある。
 さらにもう一つの大きな理由として、実はザバネッド家はボーセリング家と長い間親密な間柄を続けてきていたというのがあった。仕事柄警備隊の協力を何度もしてきている上、ボーセリング家がその地位を安定させるための根回しとして血筋の中の優秀な戦闘要員を警備隊に所属させてきたというのがある。だからまさかザバネッド卿がそう簡単に自分を切るとはこのクソ親父も思っていないのだろう。
 そしてだからこそこの親父は、キオットが今回の連中の仲間になるようにも仕向けたのだ。セイネリアがキオットに危害を加えたら、怒るザバネッド卿に自分がとりなしてやるとでも言ってこちらに恩を着せるつもりだった。
 この親父の計算違いは、セイネリアが困る事態になる前に自ら直接ザバネッド卿と連絡を取り交渉していた事だ。

「確かにザバネッド卿はこれからもボーセリング家との関係は続けていきたいと思ってる。だが、あんた個人の事なんてどうでもいいんだ」

 だからセイネリアはザバネッド卿あての手紙に書いておいた。『犬』を束ねる立場であるボーセリング卿の弟が兄である現ボーセリング卿を追い落としたいと思っていると。そしてもし、現ボーセリング卿を捕まえるというのであれば自分が捕まえてきてやると。

 そこでセイネリアの後ろにいた、クリムゾンではない方の人物が手に持っていた筒を広げて声を張り上げた。

「ボーセリング卿、貴方は今回6件の罪で貴族院議会に掛けられています。速やかにご出廷願いたい」
「なんだと?」

 セイネリアが連れてきた人物は、ザバネッド卿の部下で警備隊の人間だった。形式的には、彼にこのジジイの身柄を渡してザバネッド卿のもとまで送り届けるのが今回ここへ来たセイネリアの目的だ。クリムゾンを連れて来たのは仰々しく見せかける意味もあるが、この人物の護衛の意図もあった。
 ちなみにボーセリング卿の罪状自体は過去の仕事で行った不正事項の内、他に飛び火しない内容をピックアップしたものである。なにせザバネッド卿は協力関係にあるからこそ、ボーセリング卿の仕事で行った不正を今までは揉み消したり、わざと見逃したりしてきていた、ネタ自体はいくらでも持っている。当然それらは嘘のでっち上げではないから、その件に関わった使用人等に告白の術を使えば証人はいくらでも確保できるという状況だ。

 顔を赤くしてぶるぶると震えているボーセリング卿は、ここにきてやっと自分が追い込まれた事に気づいたらしい。唐突に立ち上がると、ボーセリング卿は声を張り上げた。

「エジ、ヤスリっ」

 声に合わせてボーセリング卿の後ろに控えていた『犬』が彼を守るようにその前に立つ。

「確かに君は私をうまくはめてくれたが、少々自信家が過ぎているようだね。ここにはまだたくさんの私の『犬』達がいるんだよ、それを全員相手にする気かい?」

 セイネリアはわざとだるそうに立ち上がると、後ろにいるクリムゾンに手を出した。そうして恭しく彼が差し出した黒の剣を手に取る。

「別に全員殺してあんたを捕まえてもいいんだが、折角の商売道具を全部つぶすのはあとを継ぐ者に悪いからな、出来ればやりたくない」

 言いながらゆっくりセイネリアは黒の剣を抜いて見せる。黒い刀身が現れれば、ボーセリング卿を守る優秀な筈の『犬』達でさえ息を飲んで瞳に恐怖を宿す。そうしてセイネリアは剣を抜き切ると、無造作に軽く壁に向けて剣を振った。
 直後、ドンと音が鳴って部屋が揺れる。
 暫く周囲に埃が舞って、それが落ち着けば壁に大穴が開いて外が見えるようになっていた。
 当然ながら、その音を聞いて他の『犬』達が急いで部屋にやってくる。実際部屋の中にまで来たのは元からいた2人を入れて8人だったが、その姿が見えた途端、セイネリアは彼等に向かって告げた。

「ボーセリング卿の命令を聞くのはお前達の仕事だろうが、このジジイはもうすぐボーセリング卿ではなくなるぞ。だから次のボーセリング卿はお前達に『勝てない相手とは無理に戦うな』と言った筈だ」




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