黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【48】




「くそぉっ」

 それでも剣を地面に突き立て、彼はどうにか倒れずに済んだ。本来ならそこで追撃を仕掛けていれば終わったところだが、セイネリアはあえて剣を下ろして相手を見て言った。

「それで終わりか?」

 こちらの息は全く乱れていない。疲労もない。それが分かるように冷静な声で彼に告げる。誰が見ても、勝敗はもう決まっているのが分かる状態で……それでも、ボーテは顔を上げて叫んだ。

「いや……まだっ、まだだぁっ」

 地面に刺していた剣を抜いて、わざと先ほど崩れた足で地面を蹴って感覚を確かめ、そこからこちらに走り込んでくる。剣はまっすぐセイネリアの腹を目掛けて、その速さと勢いはやはり想定以上で。
 だからセイネリアも今まで以上に腕に力を入れて相手の剣を受け止め、絡めとった上で思いきり横に弾いた。普通なら剣を離して飛んでいく筈の衝撃を、だがボーテは意地でも剣を離さずその場で耐えようとする。

 だから次に起こったことはある意味当然の結果ではあった。

 横に逃げる剣を無理やり持った彼の右腕が不自然な方向に曲がる。それでもボーテは剣を離さなかった。

「うぁらぁっ」

 痛覚を切っている彼はそのまま剣先を切り返してこちらへ振り下ろしてくる。剣を動かしているのがほぼ左腕だけであるからかその動きは雑だが、剣の重さで勢いはそれなりにある。セイネリアは冷静に剣で受け、こちらに倒れ掛かりそうな勢いの彼の腹を蹴った。
 ボーテの体が大きくのけ反る。そのまま足が4、5歩後ろへ下がる。けれどそこから剣を振り回して反動をつけ、どうにか彼は上半身を前に起き上がらせた。そうして足を開くと腰を落とし、顔を上げてこちらを睨み、また叫ぶ。

「まだだっ、まだっ、俺はっ、戦えるっ、うおぉぉっ」

 そうして吠えると同時にまたこちらに向かってきて剣を伸ばす。大振りで隙だらけなそれをセイネリアは剣で受けて弾いた。それでも彼は剣を離さない、すぐに切り返してまた伸ばしてくる。退かずに前に踏み込んでくる。それをセイネリアは受けて、一歩下がる。
 向うの剣には正直もうロクに力は入っていなかった。だが剣の重量任せで振っているだけの剣は、剣先が泳いで妙な軌道で襲ってくるため綺麗に受けて止めるのも難しい。セイネリアは受けて、弾いて、相手の攻撃を防ぐ。

「うあぁぁっ」

 ボーテは一心不乱に剣を振る。けれど体が限界なのは明らかで、彼が一歩踏み込むごと、剣を振り下ろすごとに、上がる声とともにその口元から血が噴き出していた。おそらく肋骨もいくつか折れているのは確実だろう。痛覚を切っていなければ既に倒れている状態だ。

 それでも彼は剣を振る事を止めない。彼はまだ自分自身に負ける事を許していない。

 だがボーテの剣はいよいよ剣速がなくなってただの大振りになっていた。セイネリアはそれを受けずに一歩下がって避けた。ボーテはそれを追って剣を振り上げてから一歩踏み出そうとして……それが出来なかった。見れば地面を踏みしめている彼の足の片方は向いている向きがおかしい。

――ここで終わらせるべきか。

 そう思ってもそこでセイネリアは彼にとどめを刺すのを迷った。どうせ彼はもう助からない――そう思えば、まだ諦めていない彼がどこまでやれるのかそれを見たいという気持ちがある。
 セイネリアは彼を見た。
 ボーテは動けないまま顔を上げてセイネリアを睨んだ、まだ目は諦めていなかった。それでももう自分の足が動かない事を彼も理解しているようだった。
 ボーテは無言でただセイネリアを睨む。目はまだ諦めていなかったが顔は血の気が引いて青白く、口元を見れば息は荒いというよりもまるで酷い寒さの中にいるように唇が小刻みに震えていた。

――術が切れたか、もしくは体がもう動かないのか。

「まだ……」

 それでも彼はそう呟いて剣を構えようとした。けれど腕は持ち上がらず、逆にあれだけ離そうとしなかった剣が彼の手から落ちた。ガランと響いた音に、セイネリアもここで終わりにする事を決めた。
 セイネリアは黙って剣を振り上げる。そうして振り下ろすと同時に一歩だけ彼のほうに踏み込めば――そこでじっと動かなかった彼が、まるでこちらに倒れ込むようにして突っ込んできた。その手には腰から抜いた短剣があった。

「ぐがぁああぁあっっ」

 セイネリアの剣が彼の左肩から胸まで食い込んでいく。
 だが同時に、ボーテの短剣がセイネリアの脇、鎧の隙間を目掛けて伸びてくる。
 接触した後、どちらの声も上がらなかった。ボーテの体はセイネリアの体に倒れ込んだまま動かない。地面にはおびただしい血が溢れ落ちていく。ボーテもセイネリアも、血まみれだった。

 だがやがて、死んだ神官がそのまま地面に崩れ落ちようとしたところで、黒い騎士の腕が動いてそれを抱くように支えた。




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