黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【30】



 空は完全に黒一色で、新月に近い欲望の神オルアナの月が細い光を放っている。すっかり遅い深夜ともいえる時間、セイネリアは執務室の上に足を上げ、腕を組んだ。
 カリンからの連絡があって、グクーネズ卿の館が怪しいというのが分かった。エデンスにも外から館を見て貰って、グクーネズの館内に数か所見えない場所がある事は確認している。

 それなりに金か地位がある貴族の場合、もしくはかつてそうであった家の場合、あとは領地がある貴族の場合も大抵当てはまるが――それらの貴族の屋敷については、本館にあたる建物の外壁全体に断魔石を埋め込んで外から建物内を見えなくして、その上で重要な部屋は個別で保護している。だがずっと中間以下の下っ端だった貴族の家の場合、外壁は無視して重要な部屋のみしか処置していないのが普通だ。まぁごく少数の、しかも殆どが神殿所属であるクーア神官の千里眼や転送に備えるくらいなら、一般人が見てすぐわかる屋敷の装飾に金を掛けるというのは分かる。
 グクーネズ家はそのずっと下っ端貴族だった家であるから、断魔石で見えない場所は一部しかない。つまりその一部以外は見えるという事で、それなら転送で中に入る事も可能という事だ。ただし、貴族の館に入るのならばへたに騒ぎを起こす訳にはいかないからいろいろ準備が必要となる。
 だからセイネリアは、それを聞いた時にラスハルカに連絡をつける事を考えた。
 アルワナ神官なら、周囲の人間をまとめて眠らせる事が出来る。おそらく断魔石で守られた部屋自体に見張りがいた場合はその人間だけは眠らないだろうが、それだけなら気絶させるなり、光石で目をくらませるなり、やりようはある。

 ただセイネリアがすぐにそれで動かなかったのには理由があった。

 夜遅い時間になって、団にセイネリア宛てで手紙が届けられた。
 差出人はキオット・ラグ・カルゾ――知らない名だと思ったが、手紙の内容からしてどうやら騎士団の人間で、ハリアット夫人の元愛人らしい。頭のオカシイ詩人が書いたような文章には正直うんざりしたが、内容は笑って終わりに出来るものではなかった。

 要約すればつまり、リオを開放して欲しいのなら、指定の場所へ、セイネリア、カリン、エル、エーリジャ、クリムゾンの5人が武器を持たずにやってこいという要求で、セイネリアには両腕を縛ってこいという指定まである。普通に考えて、ただの団員一人でここまで要求してくる向うの頭がイカレてる。最初から要求を通す気がなくて無茶を書いたとしか思えないところだが……。

「ま、確かにこんな馬鹿馬鹿しい要求なんかのめる訳はねぇ……が」

 エルが、セイネリアからの説明の後、渡された向うからの手紙を読み終わった途端そう言いながら頭を押さえた。

「連中が何を要求してきても飲む気はなかったが、それにしても頭が悪すぎる。おそらく複数の人間の要求を全部いれたらこうなった、という結果だろうな」
「何でまた、突然こんな頭悪い事やってんだ? 今まではたまたまうまくいっていただけとかか?」

 エルがそう言いたくなるのも当然だ。
 セイネリアも一応、わざと無茶な要求を出して何か別の意図があるのかとも考えたが、どう考えても連中でそこそこ地位ある者の名前を明かしてまでダミーの手紙を寄こす意図が分からなかった。だからこういうどうしても理屈に合わない動きは、おそらく相手が想定以上の馬鹿だからというパターンだろうと判断した。そう考えた方が状況的にしっくりくる。

「どうやら連中は内部で2つに意見が分かれているらしい。とにかく何をやってもこっちに恨みを晴らしてやりたいという馬鹿連中と、あくまで俺個人だけを狙う連中とでな」
「つまりこれを出してきたのは馬鹿共の方ってことか」
「そうだろうな」

 この馬鹿な手紙を送ってきたのはアディアイネが言っていたところの『恨みを晴らすためなら何でもやる馬鹿者共』の方で、更に言えば彼が言っていた通り、もう一つのマシな頭の方の連中と揉めた末、馬鹿共達は向うに許可なく勝手にこの手紙を寄こしたのだと予想出来た。
 なにせそうでないとこちらがここまで向うの正体を掴めなかったのに説明がつかない。今まではマシな連中が考えたやり方に従っていたから上手く隠せていただけで、そいつ等が関わっていないからこんな馬鹿な手に出たと考えられる。

 ただ向うの勢力が2つに分かれているなら、リオの身を確保しているのはどちらの連中なのか。この手紙からすれば馬鹿共の方に思えるが、それにもう一つの勢力側がすんなり応じているとは思えない。ここまで馬鹿な連中が、もう一方の連中を出し抜けたとも思えない。どちらかと言えば、もう一方の連中は馬鹿共を捨て駒にするつもりで好きにさせているという方があり得る。

「で、どうする気だ?」

 聞いてきたのはエデンスだ。彼には怪しい連中の屋敷へ行って外から様子を見てきてもらったからその報告と、それから今後の行動のためにも必要だから来てもらっていた。ちなみに今回はクリムゾンもいる。彼は基本こういう席では聞かれない限り発言しないが、この件については働いてもらうつもりだから呼び出した。

「まず当然だが、連中の要求には応じない。そしてわざわざ尻尾を見せてくれた連中には相応の目にあって貰う」

 どちらにしろ馬鹿共が勝手に動いてくれる事自体は、こちらにとってはいいことではある。今まで尻尾を掴ませなかった連中が、わざわざこうして尻尾を見せてくれたのだから。罠であろうと捨て駒だろうと、手掛かりになるのならその尻尾を掴んで引きずり出す。

 だがそう思えても、何故だか嫌な感覚はぬぐえなかった。
 自分にしては不思議なくらい、行動方針が決まっているのにセイネリアの気分は少しも晴れなかった。




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