黒 の 主 〜傭兵団の章二〜 【29】 現在カリンはセイネリアの指示で傭兵団に帰らずワラントの館の方にいた。 今はカリンの部下である情報屋の人間を多く動かしているため、そこから来た情報をまとめてセイネリアへ報告するにも、指示を出すにも、こちらにいた方が早いからである。 ただ、事態に対処するためにはこの方がいいとは分かっていても、カリンは常にセイネリアの事が心配だった。それは勿論彼が無事かどうかなどではなく、彼の精神的な部分への心配だ。 セイネリアがどこか変わってしまった――カリンが理解出来ない、カリンでさえ彼にぞっとする程人間味を感じない、そんな事を時折感じるようになってからもうかなりの時間が経った。その間カリンはずっとセイネリアを注意して見て来たし、いつでも彼の愚痴でもなんでも聞けるようにしてきたつもりだ。だが彼は前に比べて一線引いたように、単純に思ったままの感想や、冗談めいた軽口をカリンに対してほぼ言わなくなった。相変わらず指示は的確で行動的にはいつも通りの主だと思うものの、カリンは前より彼と距離を感じて仕方がなかった。 それでも最近、リオの訓練につきあっている時のセイネリアは楽しそうに見えた。最近は殆どやらなくなった自らの鍛錬もやるようになって、カリンとしては嬉しかった。だからこそ今回リオが攫われたと聞いた時に、カリンはまずセイネリアの事を考えて不安になったのだ。 立場的には普通ならリオの事を心配するところなのは分かっている。だがカリンにとってはセイネリアが一番大切で、自分が命を捧げる唯一の存在である。だから全てはセイネリアにとってどうであるかが基準となる。リオの事もセイネリアが気に掛けていなければこんなに心配する事はなかっただろうと思う。 カリンは自分の考え方がマトモではないという自覚がある。 『犬』と呼ばれていた頃に比べれば随分と人間らしい情を持ってしまったと思っていても、それでも幼い頃から教えられた考え方がすべて変わった訳ではない。セイネリアはまずカリンにそんな命令をしないが、もし命令があれば知らない他人を殺す事に迷いはない。……ただおそらく前と違うのは、知っている人間なら納得できる理由がない限りは殺す事を躊躇してしまうだろうという事だ。逆を言えば理由があって、そうすべきだと思えば情を捨てて殺せるという事でもある。 ――私は、ボスの望む通りの存在になれているのだろうか。 セイネリアがカリンに望むものは、彼の考え方を理解して、いざという時には彼の代わりも務められる事――だと思っていた。だからカリンは何をするときも、彼ならばどう考えるか、どう判断するか、それを考えて動いている。それが、彼に一番近い部下の役割だと思っていた。 けれど……今、カリンはセイネリアの考えが分からない事が増えてしまった。 それが不安で、怖くなる。最近をセイネリアを見ていると、カリンはいつも胸が苦しくなる。 「カリン様、いいでしょうか」 そこでマーゴットが部屋にやってきた。この館の部屋には基本ドアはないから、入口で声を掛けてから入る事になっている。娼婦達などは許可を気にせず声を上げながら入ってくるが、マーゴットはその辺り真面目で必ず許可が出るまで入口で待っていた。 「はい、構いません」 「こちらが例の貴族の館を見張っている者達からの報告書です」 入ってすぐ、彼女は紙の束をカリンに差し出した。 現在、セイネリアに恨みを持っていそうな人物……その中でもそれなりに財力がありそうな者の館には常に見張りを置いていた。彼女達には当然怪しい動きがあれば即報告するように言ってあるが、怪しいと思わなくても館に出入りする者の記録もつけさせている。 先程セイネリアから連絡があって、貴族用の馬車以外で、何度も荷物を運んで入っている者がいないか確認するように言われた。だからその記録を持ってくるように頼んだのだが。 「グクーネズ卿……」 記録に一通り目を通してから、カリンはそう呟いて眉を寄せた。 グクーネズ卿はディンゼロ卿の下でかつてノウスラー卿と共に次席争いをしていた貴族だが、エーリジャを助けたパーティの席でどちらもケチな企みをしていたのを暴かれて派閥内での地位を落としていた。その貴族の館に、今日だけで、出入り業者らしい同じ馬車が3度来ているのだ。 「グクーネズ卿の館にもう一人付けてください。そしてもし次にここに書かれている灰色の布の業者の馬車が来たら、それを追うようにと」 「分かりました」 とりあえず指示はこれでいい、後はこれをセイネリアに伝えるだけだ。彼の話では、リオは敵達の協力者の貴族の館に捕まっている可能性が高いという事だった。そしてプライドの高い貴族なら、リオを運ぶのに貴族が乗る馬車を使わせはしないだろうと。だから貴族の馬車以外の出入り記録を確認しろと言われたのだ。 カリンは呼び出し石と共に、水鏡の石を準備する。 願わくば、リオが無事で、狙い通りグクーネズの館にいるようにと思いながら。 --------------------------------------------- |